「カサンドラ症候群」の人がぶつかる"障害受容"という大きな壁

「カサンドラ症候群」自覚と回復の道⑦
野波 ツナ, SORA プロフィール

障害受容と罪悪感の関係

SORA 私、なんでカサンドラさんの多くがパートナーの診断にこだわるのかわからなかったんですよ。よくよく聞くと「診断したら私が悪いわけじゃないことが証明できる」という方がいて。そこではじめて、カサンドラの皆さんが自分のことを責めていて、罪悪感に苛まれてることに気が付いたわけです。

野波 その罪悪感。私、最後まで持ってましたから。

SORA 私はね罪悪感なんて全く感じなかったんですよ。これは特別支援学校からスタートしてるおかげですね。

野波 受容があるからですね。

SORA だから、私の勉強会に来た人には、ろう学校にいたときのことをお話しするんです。私は生徒に「聞こえないんだから、ちゃんと見なさい」って言いますし、生徒は私に「先生、映画館でおしゃべりできなくて、不便だね」って言うわけですよ。お互い様。障害っていうのは違いでしかないんです。「夫に障害があるんだ、じゃあ私もっと頑張んなきゃ」みたいな発想はしません。

野波 見捨てられなくなっちゃったと言う方いらっしゃいますね。それはそれ、これはこれなんですけどね。

SORA そう、そこには違いがあるだけで、その違いの中でどうお互いに助け合うかっていうだけの話なので、私の中には罪悪感のかけらもないです。

野波 なるほど。私は受容っていうのがなかなか難しかったですね。夫のアスペルガーの特性の理解は割とどんどんしたんですけど、受容が本当について行かなくて。

SORA 受容は大変。

野波 いまだにちょっとできない部分がありますね、認められない部分が。だから私のところに来る相談メールには「受容はしなくていいからまずは理解を」と言うことにしています。受容は後でいいからって。

 

SORA もしかしたら、受け止めすぎてるのかもしれませんね。皆さん受容のことを『受け入れる』って思うんですよ。受け入れて相手を何とかしてあげたいみたいな。そうじゃなくて、受容はそこにあるだけなんですよ。受け止めてそこに置いておけばいいんです。

野波 変えようとせずに。

SORA 変えようとせずに、あるんだって思うことですよ。それが受容。あり方を許すってことです。ただ、簡単に話していますが、なかなかできることではありません。

私は障害児学校にいて、子どもに障害があって生まれたことで自分を責めているお母さんをみてきました。「この子に障害さえなければ」と嘆き続けるのです。でも、成長した子どもには、その母親の嘆きが伝わります。自分の障害を嘆く母親に子どもは、どのような思いを抱くと思いますか?

野波 欠けたものとして最初から見ているわけですよね。