日本人がほとんど知らない「世界大学ランキング」の問題点

そもそもどう順位付けしているの?
畠山 勝太 プロフィール

第二の問題は指標ごとのウェイトの設定である。

ある指標が、ジェンダーなり大学なりの評価をしようとしている項目全体にどれぐらい貢献するのか計量分析があれば良いが、そこまで込み入った研究はほとんど存在しないのが一般的である。

そのため、指標ごとのウェイトを考える際に、すべての指標に同じウェイトを割り当てるか、ランキング作成者の経験に基づいてウェイトが作成されることになる。

私が従事していたものもそうであった。

人的資本開発・労働参加・制度の三項目を同じウェイトで評価していたが、再度になるがジェンダー問題は社会的な慣習や文化に根差すものであるから、そもそもこの3つの分野で十分ではないし、この3分野が平等に点数を持つのもおかしな話である。

そして、この3項目の中にいくつもの指標が存在していたが、それぞれの指標が同じ点数を持ち、その平均が該当する項目の評価となっていた。もちろん、すべての指標のウェイトが同じ合理的理由など存在しない。

 

ここでもう一度世界大学ランキングの内訳を振り返ろう。

分野別では内訳が事細かに調整されているので、一見すると科学的な手法を用いてウェイトが決められているように見える。

しかし、教育・研究・論文の被引用数がまったく同じウェイトを付けられていることからは、何らかの統計的な手法を用いてウェイトを算出したのではなく、主観的な判断、より厳しく言えば理解のしやすさや計算のしやすさを基にウェイトが付けられていることが読み取れる。

そして、ウェイトに関する最大の謎は、タイムズ紙による評判調査の結果である。

タイムズ紙の説明によると、評判調査は、地理的な偏りが出ないように選ばれた世界各地の著名な研究者に、教育・研究面、それぞれで素晴らしいと思う15の大学を挙げてもらい、何%の研究者に言及されたかで点数を決めている。

この手法に納得する人はいるだろうか? 少なくとも私はなぜ15の大学なのか合理的な説明がなされない限り納得しない。

しかし、この評判調査の点数が教育においては他の指標の合計と同じ重要性を持ち、研究においては他の二指標の合計を優に上回っているのである。そして、全体の評価においても、この評判調査の結果が3分の1のウェイトを占めているのである。

つまり、極端なことを言えば、評判を上げるために、世界中の著名な研究者に、東大との共同研究に多額の研究資金を付ける、東大での贅沢な研究発表ツアーを組む、といった対策を取れば、東大の世界ランキングの大幅な上昇すら見込めるのである。

世界大学ランキングに限らず、ほぼ全ての複合指標に基づく国際ランキングに当てはまることであるが、評価指標の選択や項目・指標ごとのウェイトの正当性・妥当性を熟考すると、ランキングにどれだけの意味があるのかよく分からなくなってくる。

〔PHOTO〕gettyimages

世界大学ランキングは無意味なのか?

前述のように、世界大学ランキングに代表される複合指標に基づく国際ランキングは指標の選択や指標の重みづけに課題を抱えている。

このような現実を見ると、この手のランキングは無意味だから気にすることなく、日本独自により良い高等教育政策を目指していけば良いと考える人も出てくるかもしれない。

たしかに、それは間違いではないのかもしれないが、この手の国際ランキングを有難がる人たちがいるがゆえに、国際ランキングは意味を持ってしまう。

具体例を挙げよう。それは海外留学である。特に米国への留学では推薦状の強さが物を言うが、大学時代の成績(GPA)や志望動機、テストの成績などももちろんみられる。

GPAを見る際に、出願者がどの程度の大学を出ているのかも多少考慮されるであろうが、一般的な米国の大学教授が、東京大学と京都大学を知っていたとしても、それ以外の大学のレベルについてまで熟知していることはほとんどあり得ないであろう。

そこで参考にされてしまうのが、世界大学ランキングである。つまり、日本の大学の世界ランキングが下がってしまうと、日本人の海外留学に負の影響が出てしまうことが考えられる。

同様のことは海外研究機関との提携にも当てはまる。構図は海外留学とほぼ同じなので詳細は省くが、日本の大学の世界ランキングの下降は、海外研究機関との連携の質を低下させ、日本の大学の研究力に負の影響を及ぼす可能性がある。

たしかに世界大学ランキングにはさまざまな課題が存在している。しかし、上の事例が示すように、これをありがたがる人たちが存在するがゆえに、虚構のような世界大学ランキングが意味を有し、現実世界に影響力を持ってしまうのである。