「遠藤姓」を名乗る二人の在日コリアンの、数奇な出会い

きっかけは、一本の記事だった
新垣 洋 プロフィール

正聡さんが生まれ育ったという大阪府西淀川区の地を筆者も歩いてみた。町工場や土建屋が幹を連ねた場所はマンションや小奇麗な住宅地に様変わりしているが、間違いなくこのあたりに家族で暮らしていたと正聡さんは語る。

「私の両親は韓国民団のお手伝いをしていたんです。川の向こう岸には朝鮮総連の事務所があって、ランチタイムには母が出前を届けに行っていた記憶が残っています」(正聡さん)

お互い、意外と近くにいたのだ。道雄さんはどことなしに宙を仰いだ。

 

これからは、年に一度

筆者は、正聡さんの父親が正聡さんに語ったという話を頭の中で整理しながら、歴史年表と照らし合わせてみた。しかし、各々のエピソードをどう組み合わせても、父親が何年にどんな理由で渡日したのかを突き止める手がかりはなさそうな気がした。

正聡さんの父のことを知る親戚や縁戚も一人として残っていない。関東大震災が起きた1923年に、父親がどこで何をしていたのかを今から調べるのは相当に難儀だろう。

ここまでかな、と諦念に近い気持ちで顔をあげると、目の前にいる二人の遠藤さんは、私の心境などおかまいなしに己の来し方を語り合い、時々声を詰まらせては手の平で顔を拭った。そんな二人を見ていると、これ以上の調査にどこまで意味があるのか自分でもわからなくなってきた。

おそらくは血縁関係も縁戚関係もないであろう二人が、ただ「遠藤」姓を生きてきたという一点の事実だけをもって互いの存在を喜び、身を震わせているのだ。

短い時間ではあったが3人で京都を観光した。夜には祇園で酒も酌み交わした。「今後は年に一度は集まり、遠藤会をやろう」。そんな約束もした。

道雄さんと別れた正聡さんは翌日、中学時代の同窓会に参加する。久しぶりの帰国に、旧友たちがかけつけたのだ。皆の前に立った正聡さんはこんな挨拶をした。

「家族をすでに亡くしている自分には、これまで差し当たって日本に帰国する理由がなかった。だけど今回の旅で、帰ってこなければならない理由ができた。これからは年に一度、必ず帰ってきます」

一本の記事が、二人の運命を変えてしまったかもしれない。でも、決して悪い方向に、ではないはずだ。