「遠藤姓」を名乗る二人の在日コリアンの、数奇な出会い

きっかけは、一本の記事だった
新垣 洋 プロフィール

もう一人の遠藤さんの物語

道雄さんがまず知りたがったのは、どういう経緯で正聡さんの家族が「遠藤」姓を名乗るに至ったのかである。道雄さんの目を見て、正聡さんはゆっくり話し始めた。

「私の父は1912年、朝鮮半島南部の木浦で生まれた韓国人でした。生年月日から数えると関東大震災時には11歳なのですが、父がどのタイミングで渡日したのかは不明なんです。関東大震災の時にはまだ韓国にいたかもしれない。

父がよく言っていたのは、成績が優秀だったために、特待生として福岡への留学メンバーに選ばれたという話です。ただ、私はその話をちょっと疑わしいと思っているんです。木浦には『木浦の涙』という有名な歌もありますが、当時は言わずと知れたギャングのまちでしたから。血気盛んだった父も何かの抗争に巻き込まれたか、あるいは他の理由で渡日せざるをえなくなったのではないかと」

 

関東大震災の時に道雄さんの祖父・朴栄業をかくまった、日本人の遠藤さんとの関係は薄そうである。正聡さんは続けた。

「どういう背景だったにせよ、木浦生まれの父はどこかのタイミングで福岡へ渡り、遠藤姓を名乗り始めました。これも父の話を信じるとすればの話なのですが、福岡の学校にとても親身になってくれた先生がいたそうです。戦時下、日本に暮らす韓国人の父のことをえらく心配してくれたと。

その先生が父にこう諭したそうです。『金君、普通なら金姓の人は金田や金本と名乗るけど、それだと周りからいじめられるよ。韓国人だとはわからない名前にしないさい』と。それで日本人らしい遠藤という姓を名乗りはじめたそうなのです」

右が道雄さん。左が正聡さん

喉元に刺さっていた魚の骨がやっと取れた時のような表情で、道雄さんは口を開いた。

「福岡におる遠藤さんというのは、あんたのオヤジさんのことやったのかもしれんな。友人たちのツテでずいぶん探したんやけど」(道雄さん)

「一生懸命探してくれたのですね。嬉しいです。父は福岡から東京や神奈川の川崎を転々とし、大阪の西淀川区に移り住んで土建業を立ち上げました。母も実家の1階で『味道園』という焼き肉屋をはじめ、私はそこで生まれ育ったんです。

すでに両親は鬼籍に入りましたが、私の幼少時の記憶に焼き肉屋で働く母親の姿や家の周りに幹を連ねる町工場、土建屋の風景が残っています」(正聡さん)