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ブレグジッドは大正解 英国よ沈みゆくEUからいち早く脱出せよ!

移民拒否だけではないその経済的合理性
英国の欧州共同体離脱まで、あと6カ月を切った。いまだ、離脱交渉は混迷を極め、新協定なしの離脱(ハード・ブレグジット)の可能性が高まってきた。英国内では国民投票のやり直し議論も飛び出すほどだが、一方、強硬離脱論者がテレーサ・メイ政権の閣僚を辞任するなど、EU離脱の政治的要求はいまだに強烈だ。単に移民問題だけではない。かく誘うものは何なのか。「自由主義経済」と言いながら、あまりにもしがらみの多い現在の国際経済の中で、離脱論者が望んでいる英国のあるべき姿を、その合理性と可能性を、通貨統合の時から国際金融マーケットに係わってきた筆者が解説する。

EUの致命的失敗は統一通貨導入

私がフランス国営・クレディ・リヨネ銀行での勤務を始めたのは1989年。その後、マーストリヒト条約(欧州連合条約)が91年12月に合意され、93年11月に発効した。これによってヨーロッパ中央銀行・統一通貨(現在のユーロ)の設立・導入への具体的期限が定められた。

私の所属していた部門は、クレディ・リヨネ銀行と英国の金融ブローカー・ハウスであるアレクサンダー・ラウスとのJV(合弁)会社であったため、リヨネのパリの本店と、ロンドンのブローカー本社の両方からエコノミストレポートが送られてきていた。

 

大部分が、当時ホットな話題であった通貨統合に関するものであったが、ロンドン(英国)のエコノミストたちの主張は「財政・政治・金融政策などの統合が行われる前の共通通貨の導入などあり得ない。もし万が一そんなことをしたら将来大変なことが起こる」というものであった。

それに対して、パリのエコノミストたちの主張は「共通通貨を導入しさえすれば、財政・政治・金融政策は後からついてくる」というものであった。

私を含めたチームのメンバーは、すでにマーストリヒト条約で通貨統合の道筋が示されていたにもかかわらず「経済・社会の基本的な理論から考えても、パリの言い分は奇妙で、ロンドンの主張が正しい」と考えていた。

99年1月1日に決済用仮想通貨として共通通貨(ユーロ)が導入されたことには本当に驚いた。なお、そのころすでに私は、リヨネを退職し、㈱大原創研を設立、独立していた 。現在のような現金通貨であるユーロは、 3年後の2002年1月1日に誕生している。

結果的に、ロンドンのエコノミストたちや私の予想は外れたわけだが、ユーロ発足以来約20年間の経緯を見れば、ユーロの導入が愚策であり、現在のEU解体の危機の最大の原因(他にもEUの問題点は数え切れないほどあるが……)と言っても良いであろう。