「この画期的な研究成果は、〇×教授が学会で発表なさることになっています」
医療ドラマなどで、学会発表がこのように権威づけの道具として扱われるのを、ときどき目にする。
社会学などではしばしば、ある事柄がテレビドラマや映画でどう描かれているかを分析し、それに対する世間一般の意識を探ろうとする。それにならえば、いまも学会は、世間からは権威の象徴とみられているらしい。
では、その学会を構成する当の研究者たちは、学会をどうみているのか。京都大学で9月13日に開かれたシンポジウム「学会を問う」(京都大学学際融合教育研究推進センター主催)をレポートする。
シンポジウムの副題は「学会って意味なくない?」。
刺激的だ。研究者にとって、所属することがあまりにも当然のことになっている「学会」の意義を、いまあらためて考える試みだ。
企画した京都大学学際融合教育研究推進センターの宮野公樹(なおき)准教授はその趣旨を、「学会を否定するわけではない。学術の世界はいま、身分による上下の分離、分野間の分離が激しい。そのなかで、我々は学会を通して一所懸命に何をやっているのか。それを問い直したい」と説明した。
学会は、その分野の研究者たちが年会費を払って会員となり、年に1~2回の研究発表大会を開いて最新の研究成果を発表したり、論文誌を発行して会員の論文を掲載したりする。
「学会発表」というのは、研究発表大会での発表を指している。学会発表や論文誌への掲載は、その研究者の正式な業績となり、昇進や転職の際の重要な判断材料として使われる。
シンポジウムでは、文学や社会学、農学、医学、工学など11分野の研究者が報告者となり、それぞれの所属学会の現状と問題点を示し、議論する形で進められた。
論点のひとつは、学会の大会に関する点だ。
学会の大会には、発表した成果について、ふだんは顔を合わせることのない研究者の批判を仰ぎ、さらに研究の精度を高めていく役割がある。
それが形骸化して、たんなる「お祭り」になっているのではないかというのだ。