# 有機農業 # ナチス

エコの代名詞「有機農業」が、ナチスと深く関わった過去

収容所で有機ハーブティーが育成された
藤原 辰史 プロフィール

「血と土」の提唱者・ダレー

1933年1月30日、世界恐慌で借金に苦しむ農民層の支持を得て政権を奪取した国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が、食と農に関心をもつことは、それゆえ当然であった。選挙戦で重要な役割を果たしたのが、リヒャルト・ヴァルター・ダレーとハインリッヒ・ヒムラーいう人物である。

ダレーはヒムラーほど知られていないが、アルゼンチンのドイツ商人の息子で、第一次世界大戦時にドイツに戻り志願兵として従軍し、その後大学で家畜の育種を学びつつナチ党に入党し、農政局のリーダーとして選挙戦略を担った。

リヒャルト・ヴァルター・ダレー(1895-1953)

そのときに、彼の編み出した重要なスローガンが、あの「血と土Blut und Boden」であった。ダレーの主著『血と土からの新貴族』(1929年)によれば、血とは「アーリア人種」、土とは「ドイツの自然」、とりわけ大地を意味し、そこで育成される農民は新時代の「貴族」のように尊い存在になると訴えた。

彼は豚の品種改良を学びつつ、次第に人間の「品種改良」構想の虜になり、都市よりも多産な農村で「アーリア人種」を純系淘汰(ある種を純粋なものにしていくこと)していきたいと考えるようになった。

こうした人種主義と深い接点をもつ彼の農本主義は、少なくとも選挙中は有効に働いた。つまり、国民、とくに農民もこのスローガンに暗い時代からの突破口をみた可能性が高い。しかし、いざ政権与党の食糧農業大臣となって来るべき戦争のための増産体制の構築が求められると、次第に党の中央から忌避されるようになる。

「血と土」は、急速な工業化による自然喪失への批判となりうる一方で、その自然を守り享受するのは人種的に優れた農民のみ、という意味である以上、人間の排除を前提にしなければ成り立たず危険である。

 

ダレー、有機農業に近づく

ダレーは、総統代理のルードルフ・ヘス(『我が闘争』の口述筆記を担当した人物)とともに、前述のバイオダイナミック農法に関心を示し、全国連盟のバルチュともコンタクトをとって彼の農場にも訪れている。バルチュ自身はナチスの教義に賛同していたわけではないが、バイオダイナミック農業の「農場はひとつの有機体である」という世界観は、ナチスの世界観と近接するものであったといえる。

エアハルト・バルチュの農場を視察するダレー一行

では、この背景には何があったのだろうか。実は、1930年代は、世界的に土壌侵食が危機として共有され始めた時代であった。地球の陸地を覆う土壌は、いまなお人間の生命を支えるものだ。長年の微生物の働きが生み出した極めて貴重な資源であり、一旦失うと簡単には取り戻せない。

無機化した物質である化学肥料の多投は、有機物を無機物に変換する微生物の力を必要としない。植物は根を張ることをもなくなり、根から剥げ落ちた根毛を餌としたり、根毛に棲み着いたりする微生物も減少する。さらに、重量のある農業機械が投入されるようになると土壌が圧縮されやすくなり、乾燥地帯では水分が蒸発してしまう(拙著『トラクターの世界史』を参照)。

こうして、土壌が著しく痩せ衰えるという現象が、世界中の農業地帯で少しずつ確認されるようになったのである。とりわけ、アメリカで起こったダストボウルは世界に衝撃を与えた。痩せた土壌が砂状になり、空中に舞い上がった結果、昼が夜のように暗くなるという世界の終末のような現象が起こった。

農学を勉強したダレーは、これがドイツでも起こりうる現象であることを知っていた。ドイツは、窒素合成肥料や毒ガスを開発したフリッツ・ハーバーを始めとするノーベル賞クラスの化学者や、世界的化学企業を擁する化学王国であり、とりわけ北部の土壌は肥沃ではないので、化学肥料の投下によって生産力を保っていたからである。

こうした事態に対し、土壌の微生物の力を最大限発揮する農業が重要である、と考える意見が生まれるのも当然であるし、ここまではダレーは間違ってはいなかった。