「日本のフランスパンは世界一」に大貢献した、あるパン職人の生涯

この人なしで日本のパン文化は語れない
阿古 真理 プロフィール

東京で起きたフランスパンブーム

彼のフルネームは、フィリップ・カミーユ・アルフォンス・ビゴという。1942年、フランス・ノルマンディ地方のイヴレ・レヴェックという小さな町で生まれた。14歳で父のパン屋に見習いで入るが、父と大ゲンカして別の店に移ったのち、パリに出て国立製粉学校で学び、正式なパン職人になる。

その間、農業を始めた両親は失敗、母を44歳の若さで亡くしたビゴ氏は失意の底に落ちてしまう。そんな彼が、「日本の見本市でパンを焼く人」の募集を知ったことが、来日のきっかけだったと評伝『ビゴさんのフランスパン物語』(塚本有紀、晶文社)にある。

1965年4月、東京・晴海で開かれた東京国際見本市でのビゴ氏の実演は、テレビ中継までされて大盛況となった。そして見本市終了後、彼はそのままドンクに入り、フランスパン製造の土台を築く。

翌年、東京・北青山に出店したドンクは口コミで評判を呼び、翌年からファッションアイテムとして、雑誌の誌面を飾るようになって、行列ができる人気店となる。青山周辺にはほかにもフランスパンを扱う店があり、その年のうちには東京に一大フランスパンブームが巻き起こった。

ビゴ氏は全国でチェーン展開を始めたドンクで、各店の立ち上げ時の指導を行うなど、7年間ドンクに尽くした。その間に日本人の女性と結婚している。独立を申し出たビゴ氏は、ドンクの芦屋店を藤井社長から譲り受ける。1972年に開業したビゴの店は芦屋のマダムたちから好評を博し、大人気店となった。

また、ビゴ氏は日本在住の外国人にインタビューを行うテレビ番組に出演した。ユーモアあふれるトークが評判となり、多くのテレビ番組の出演依頼が舞い込む。フランス人のビゴ氏は、すっかり有名人になったのだ。

ビゴの店 本店〔PHOTO〕Pastern - CC BY-SA 3.0

パン職人としてのビゴ氏は厳しい人だったという。

パンの卸売りを行う株式会社パンテコ社長の松岡徹氏は、『ビゴさんのフランスパン物語』の中で、ビゴ氏のもとで修業した頃のことを、「ビゴさんは焼き上がったパンを見て、『これダメ、窯の温度、ちがう。五度低い』って言うんですよ。五度ぐらい本当にわかるんだろうか、と試しに翌日やってみるわけです。結局いいものが実際に焼き上がって、何でわかるんだろう、と思うことになる」と証言している。

 

店に来ると、パンがおいしそうに並んでいるか、店の中は清潔に保たれているのかなどを、厳しくチェックする。実際に手を動かすと誰よりも軽く、しかし十分に膨らんだパンを作る。店に立てば、柔らかいユーモアあふれる関西弁で客をもてなす。

多くの弟子の中に、現在、神戸市・三宮で「サ・マーシュ」を営む西川功晃氏がいる。西川氏は、現在のパンブームのきっかけとなる店を、1996年に開いている。それが神戸・元町のフランス料理店「コム・シノワ」のパン部門だ。

同店をはじめ、本格派のフランスパンを出す店が1990年代後半から2000年代にかけて、関西と東京に次々とでき、フランスパン人気が高まったことが、人気店に行列ができるパンブームの始まりである。

西川氏がビゴの店に入ったのは「製法なり配合なり、ビゴの店には他とはちがう、何か特別のものがあると思っていました。自分自身にそれを身につけたいと思っていたのです」と、『ビゴさんのフランスパン物語』で語っている。

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