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「日本のフランスパンは世界一」に大貢献した、あるパン職人の生涯

この人なしで日本のパン文化は語れない

なぜ日本のパンはハイレベルなのか?

去る9月17日、日本のパン業界に大きな足跡を残したパン職人で、兵庫県芦屋市に本店を置く「ビゴの店」創業者、フィリップ・ビゴ氏が心不全で亡くなった。享年76歳だった。ビゴ氏は、「きょうの料理」その他テレビでも活躍。流暢な関西弁による温かいトークで親しまれていた。

彼の功績をたどるためには、今や品質の高さで世界から注目される、日本のフランスパンの歴史を知る必要がある。まずは、どのように人気なのか、パンの本場である欧米から来た人たちの声を拾ってみたい。

私は2015年12月~2016年1月、拙書『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのかパンと日本人の150年』(NHK出版新書)の取材のため、首都圏に住むイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・オーストリア出身の男女8人にインタビューした。

すると、皆それぞれお気に入りの店を持っていて、「日本のパンは、とてもおいしい」と口をそろえた。

 

ライ麦パン文化圏のドイツ人やオーストリア人の方は、「東京にあまりライ麦パンが売られていない。故郷のパンが恋しい」と語っていたが、それでもフランスパンはおいしいと言っていた。パンを主食にしている人たちも満足させるパンが、日本にはあるのだ。

欧米人も認めるハイレベルなパンが、なぜ「パンは甘いもので、おやつ」と思っている人が圧倒的に多い日本で作られているのか。「日本がグルメの国だから」という答えは合っているが正確ではない。

確かに、今の日本は世界中のおいしいものが食べられる国だ。ミシュランガイドも発行されるグルメ大国になったのは、高度成長期以降にたくさんの職人たちが海を渡り、本場で修業して日本のグルメ文化の礎を築いたからである。

しかし、フランスパンの品質の高さに関しては、日本人の貢献の前に、海を渡って日本にやってきた二人のフランス人の貢献があった。そのうちの一人が、フィリップ・ビゴ氏なのである。

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日本人とパンの150年

日本におけるフランスパンの歴史は、幕末の開国から始まる。黎明期のパンについては資料が乏しいが、記録に残る最古のフランスパンの職人は、築地居留地に開いた精養軒ホテルに雇われた料理長、カール・ヘス氏だ。

ところが、同ホテルが開業初日に大火に見舞われたため、ヘス氏は失業してしまう。そこで、パン職人としても優れた腕を持っていたヘス氏が、1874(明治7)年、築地に開いたのが、「チャリ舎」というパン屋だ。

フランスで修業したスイス人のヘス氏。名前の英語読みが「チャーリー・ヘス」であることから、日本人には「チャリヘス」というあだ名で親しまれていた。1897年に59歳で亡くなった後、店は弟子によって引き継がれ、昭和初期まで京橋で営業していたといわれる。