東大の弁論部設立を巡って火花を散らした「高飛車学長と天才教授」

大衆は神である(21)
魚住 昭 プロフィール

民法典をめぐるバトル

このように学風も、気質も、対照的な穂積と梅が初めて正面からぶつかったのは、明治23年(1890)に公布、その3年後に施行予定だった旧民法(フランス人法学者のボアソナードが起草)をめぐる論争が起きたときだ。穂積は「民法出デテ忠孝亡ブ」と施行延期を主張、即時断行派の梅と対立した。

このときは延期派の穂積が勝ち、ボアソナード民法は結局施行されなかった。

が、学生たちの評判に限って言えば、圧倒的に梅のほうが優勢だったようだ。というのも、穂積が自分の学説に反する答案を書いた学生には零点を与えるといわれていたからだ。

ことの真偽は明らかでないが、そんな噂が立てば、学生たちは穂積の学説を丸暗記して、その通りに書くようになる。明治36年(1903)、読売新聞に連載された『東西両京の大学』は、そういう東京帝大の体質を「すべての学生を同模型に入れて陶冶(とうや)せんとするもの」と批判した。

 

この記事が出たあと、小石川植物園で開かれた緑会で梅謙次郎は次のように発言した。

「最近、教授のなかで自己の学説をもって答えない学生はことごとく落第させる者がいるとの点をもって、東京大学を攻撃する者がいる。しかしこれは事実を知らない。大学教授に決してこんな暴慢なる者がいないということは私が保証する。

もとより学生が教師の学説を重んじないのはいけないが、教師の学説を挙げ、なおその所信のあるところをもって答えるにおいて、決して零点を与えられる道理がないのみならず、かえって私の大いに歓迎するところだ」

すると、学生が歓呼して止まず、ただひとり黙然(もくねん)として、傍らに頭を垂れていたのは穂積八束だったという(『東西両京の大学』より意訳)。

註① 七戸克彦「現行民法典を創った人びと 15 査定委員⑩ 穂積八束」(『法学セミナー』2010−07、日本評論社)
註②  同「現行民法典を創った人びと 3 起草委員 穂積陳重・富井政章・梅謙次郎」(『法学セミナー』2009−07、日本評論社)