映画『響-HiBIKI-』を渋谷の映画館で見た。
一緒に出てきた女子高生二人が、『響-HiBIKI-』の感想を語り合っていた。
「…やばい」
「やばいよ…やばい」
「いやほんと、やばいって。やばい」
「やばいね」
「やばいよ」
「ねー」
「いやいや、やばいって」
ずっと同じ会話が続く。
「やばいしか言ってないけど」
「そうだよ……でも、やばいよ」
「たしかに、やばい」
「平手がね……いや、おもってたのとちがって」
「そう、やばい」
「やばかった」
「やばい。それしか言えない」
「いやだって、やばいもん」
「そう……、やばい。やばいよ」
「やばい」
ほんとにこう言っていた。同じことを言いながら、パチンコ店の前を通り、ビックカメラの前を通って、地下の駅に降りていった。
これが女子高生の映画『響-HiBIKI-』の感想である。
そして、私もそれが『響-HiBIKI-』の正しい感想だとおもう。
最初に見終わったあと、わたしも心震えた。何に震えているのか、しばらくわからないまま、茫然と映画館から出てきた。だから「やばい」しか言い合えない女子高生の気持ちがよくわかる(渋谷で見たのは3回目だった)。彼女たちと、やばいね、と言い合いたかった。
身体に直接、訴えてくる映画なのだ。
頭で納得するような作品ではない。悲しさや嬉しさで涙を出すこともない。いやあよかったと最後に笑う映画でもない。
ただただ、脅され、励まされ、揺さぶられた。そういう感覚だけが残った。身体だけ揺さぶられたのだ。すぐには言葉にできない。フォークソング風のエンディングの歌を聞いて席を立ち、ぼんやりと歩き、心動かされたものの正体がわからないまま、映画館をあとにした。
あまり、こんなことは起こらない。得がたい体験である。『響-HiBIKI-』はそういう映画なのだ。