「そうだ、過労死かもしれない」

実は夫の姉が、「お通夜のおときの席で気になる発言を耳にした」と教えてくれました。夫の同僚が、「過労死かもしれない」と仲間同士で話していたというのです。

夫が亡くなった2011年4月29日は、あの東日本大震災からほぼ1カ月半後。夫の勤務先は外資系で、風評などの影響を受けて外国人上司はこぞって本国へ帰ってしまっていました。余震が続く中、従業員の安全確認、節電対応なども夫の責任になりました。会社の節電キャンペーンで、自宅にパソコンを持ち帰って仕事をする時間も増えていたのです。

亡くなる1週間ほど前の休日の朝、「忙しくて死にそう」と夫が言ったので、私は「そんなことで、死ぬはずがないよ」と一笑したことを思い出しました。

「そうだ! 夫は過労死かもしれない」

骨になった夫を見て、確信しました。知り合いの新聞記者にメールをしたところ、過労死110番全国ネットワークなるものがあると教えてくれました。いてもたってもいられず、お葬式の翌日には電話をかけ、弁護士に会いに行きました。死後4日目のことです。

事情を話すと、手付金を払ったら過労死申請の手続きをしてあげると言われました。死んだ原因を知りたい一心で送金を済ませました。

しかし、さまざまなことを周りの人に言われました。「あいつの妻は会社を訴えるらしい」という夫の同僚たちのうわさ話も耳に入ってきましたし、私の同僚のなかには、「過労死申請なんかして、ご主人は喜ぶと思う?」と忠告した人さえいたのです。もっと辛かったのは、夫と親しかった会社の先輩が悪気もなく、「あいつ、あの程度の労働時間で、過労死かなあ。僕なんてもっと労働時間が長い」と、私にメールをしてきたことです。

まわりから幾度となく心無い言葉を浴びせられるたび、夫の心臓がなぜ止まったのか、夫のために絶対に明らかにしてあげたいと、私は心に誓いました。

だから約1年後、労働基準監督署から労災認定の通知をもらったときには、本当にほっとしました。そして、「私は死の研究をしているプロ。あなたを無駄死にさせないからね」と、心の中で夫に報告できました。

「死んだ」とは思えない

7年以上経過した今でも、夫はどこか遠い国に出張していると錯覚をすることがあります。結婚生活の半分近くは、夫はシンガポールに単身赴任していたし、帰国後もアジアへの出張は頻繁だったし、遠いアフリカのジンバブエにも数週間単位で、何度か出張していました。私にとって夫が自宅にいないのは不思議ではなかったので、余計にそう思うのかもしれません。病気で弱って亡くなったり、無残な姿でなくなったりしたわけではないので、「死んだ」とは思えないのです。

実は、私は夫の死後、一種の罪悪感がありました。

それは、「私より先に死んでね。しかもまだ人生やり直しがきくうちに。私がよぼよぼになって一人になっても、もう新しい人生を考えようという気力がないから」と、冗談めかして何度か夫に話したことがあったからです。

しかし夫が亡くなり、この会話をふと思い出した時、結果的にそれが現実になったことに気づき、はっとしました。そのせいで亡くなったわけではありませんが、悪いことを言ったなあと、とても反省しました。

と同時に、夫を亡くして初めて気づいたこと、体験したことをわたしのこれからの人生や研究に活かすことで、「あなたの死を無駄にはしない」と改めて夫に誓いました。

(第二回はこちらから→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57904

小谷さんは、「夫の死を無駄にはしない」という思いを胸に研究調査活動に「配偶者と死別した人は、その後、一人でどう生きていくか」という大きな課題を据えることにした。その考えを後押ししたのは、実際に当事者になって気がついた「配偶者と死別した人」への周囲の接し方だった。次回は小谷さんが「夫の死」を経て感じた「生きづらさ」と、そこで起こした行動について語ってもらう。