日本人の多くが目を背けてきた「沖縄の運命」とはなにか

返還時に作られた「虚飾の憲法論」
篠田 英朗 プロフィール

沖縄と集団的自衛権

1951年に日本がサンフランシスコ講和条約を結んだ際、沖縄がとり残され、そこに巨大な米軍のプレゼンスが残存し続けることになった。

本土の知識人たちは、主権回復を果たした地域の米軍の存在を批判的に論じたが、沖縄についてはあまり論じなかった。沖縄に米軍があるからこそ日本の安全も図られているということは、あえては積極的に論じなかった。

今日、「戦後一貫して集団的自衛権は違憲だとされていた」などと真面目に主張する方々は、戦後初期の知識人の欺瞞を、さらに後付けで隠蔽しているという点で、二重に質が悪い。

1960年代末までの時期に、集団的自衛権は違憲だという議論は、ほとんど見られない。たとえば横田喜三郎・東大法学部教授(国際法)は、1951年の日米安全保障条約の締結にあたって、次のように堂々と論じていた。

「日本と密接な連帯関係にある隣国に攻撃や侵略が加えられた国合にも、これを防止しなくてはならないことがある。ただ、この場合にも、隣国への攻撃や侵略によって、あきらかに日本の安全と独立がおびやかされる場合にかぎるべきである。つまり、いわゆる集団的自衛権の場合にかぎるべきである」

そもそも横田は1940年代から、「集団的保障が十分に確立していない場合に、それを補うものとして、集団的自衛が必要になる」と説明し、「現在は集団的自衛の時代である」と強調していた。(拙著『集団的自衛権の思想史』・『ほんとうの憲法』を参照)

このような横田の議論が、なぜ当時は、むしろ正当な議論となっていたのか。

 

それは、沖縄のことを考えてみれば、わかる。

戦争時まで日本の一部であり、むしろ戦中に激しい陸上戦を繰り広げた沖縄は、当時まだ日本に戻ってきていなかった。それにもかかわらず、極東全体の安全をにらむ米軍の巨大なプレゼンスを受け入れ、日本の安全保障にも大きく貢献し続けていた。

その沖縄のことを思ったとき、いったい誰が「集団的自衛権は違憲だ」、などと主張できただろうか。

「集団的自衛権は違憲だ」と主張することは、日本の防衛の要である巨大な米軍のプレゼンスを保ちながら、日本の領土の一部には戻ってきていない沖縄を、まさに日本の一部ではないという理由で、見捨てるということを意味した。沖縄が外国に攻撃されても「日本には関係がない」と無視を決め込む、ということを意味した。

そのような立場は、まったく倫理に反するものだろう。そのような非倫理的な立場を声高に主張できる人物は、当時の日本にはいなかった。せいぜい沖縄問題については論じるのを避ける程度のことしかできなかったのだ。

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