「ニュルンベルグの鉄の処女」。中世ヨーロッパで刑罰や拷問に使われたという

〈鋼鉄の処女〉が鎮座する「拷問博物館」で、先人の知恵に触れる

酒席で絶対ウケるおもしろ雑学 拷問編
拷問——なんともいやな言葉だ。この拷問に関する資料を豊富にそろえた博物館が東京のど真ん中にある。江戸時代の拷問「石抱」の石や、さらし首、磔〈はりつけ〉の台、ヨーロッパの拷問具「ニュルンベルグの鉄の処女」、処刑台「ギロチン」など、おどろおどろしいものが陳列されているが、そこから見えてくるのは、残酷という言葉だけでは片付けられない、先人たちの知恵の積み重ねだった。

江戸の犯人逮捕は”できるだけ殺さず生け捕り”

「拷問博物館」と呼ぶ人もいるーー「明治大学博物館」は、明治大学駿河台キャンパスの地階にあった。

エスカレーターで地下1階に降り、さらに暗い階段をおそるおそる下りて地下2階へ。真っ先に目に飛び込んだのは——来たあ! 皮剥ぎの刑を受ける血塗られた恐怖の蝋人形――なんてことはまったくなくて、由緒正しき古文書だった。

 

それもそのはず、明治大学の前身は明治法律学校。ここはもともと学生に法学の歴史を教えるために作られた博物館で、17万点ある収蔵品の多くは古文書なのだ。

展示の中心は拷問具や刑罰具などの道具類なので、古文書は飛ばしてもいいのだけれど、「今川仮名目録」(桶狭間の合戦で織田信長に討たれた今川義元で有名な駿河国〈静岡県の一部〉の戦国大名・今川家の分国法)の『喧嘩の事理非を論ぜず両方とも死罪』という一節に目が止まった。戦国時代につくられたもので、これがいわゆる“喧嘩両成敗”のもとになったものとされているらしい。

ケンカしただけで死罪? 喧嘩両成敗ってそういう意味だったの? と思いきや、戦国時代のケンカは合戦につながる私戦、すなわち小さな戦を指すとのこと。家臣同士が戦ってしまうとマズいので、強い論調で死罪と書かれているらしい。逆に言うと、取り込んだ家臣をそうやってコントロールできた大名がどんどん勢力を伸ばしていったそうだ。

このほかにも、「令義解(養老令の注釈書)」「御成敗式目」「甲州法度之次第」「長宗我部氏掟書」「武家諸法度」「生類憐み令」「公事方御定書」といった日本史に出てくる代表的な法律の写本がずらりと並んでいる。歴史好きな人にはたまらないだろう。

徳川幕府5代将軍・綱吉が発令した「生類憐み令」。貴重な写本である

古文書の次は、捕物道具や十手が並ぶ〈江戸の捕者〉のコーナーだ。ここからは特に江戸時代に焦点をあてて、犯人を逮捕するところ、牢屋に入れるところ、裁判をするところ、処刑するところという形で展示している。ようやく「拷問博物館」らしくなってくる。

江戸時代、同心たちが実際に使用した十手

捕物道具は痛そうだなァ。なかでも抵抗する相手を取り押さえるときに活躍したすぐれものが「袖搦」「突棒」「刺叉」の「捕物三道具」だ。

いずれも二メートルくらいの棒の先に金属の部品がついていて、「袖搦」はトゲのついた曲がり鈎の束、「突棒」は毛のないモップみたいなT字形、「刺叉」は首や腕を押さえられるようにU字形をしている。このなかで特に願い下げにしたいのは「突棒」。だって、T字形の棒にトゲトゲがいっぱい生えてるんだよ。こんなの押しつけられたらたまったもんじゃない。

「袖搦」と「突棒」。トゲトゲが痛そうだが……

ところが、このトゲトゲは相手を攻撃するのではなく、相手に武器を掴まれないため、そして相手の衣服にからませて動きを封じるための工夫だそうだ。捕物具はそもそも戦国時代に敵の武将を生け捕りにする道具だった。だから、致命傷は与えないし、攻撃というより防御タイプとのこと。長い棒がついているのも危険な接近戦を避けるためである。

江戸時代にはすでに、たとえ凶悪犯相手といえども、捕り物で槍や刀が登場することはほとんどなく、できる限り殺さず生け捕りにして、処刑はきちんと裁判を経てから行われるべきという考えが浸透していたという。

編集部からのお知らせ!

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/