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秋葉原に「ネット右翼の街」というイメージを植え付けたのは誰か

ネット右翼十五年史【9】

2000年代の日本の言論空間を規定し、現実の政治にもあまりに大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」。麻生太郎という政治家をファクターに「蜜月」を迎えた自民党とネット空間のかかわりは、やがて秋葉原という現実の街にも侵食してゆくーー。

「アキバ系=ネトウヨ」?

本来、秋葉原は戦後、ラジオ部品を扱う卸売商を基幹に、電気街として成長してきた街だ。実際の処、いわゆる「アキバ文化」の発展はインターネットの普及に依拠するところ大ではあるが、その全てを包摂する場所ではなく、むしろ「ラジオ」というアナログ文化がその出発点であった。

要するに、秋葉原とインターネット、まして「アニメ・漫画(オタク)」は本来全く関係が無いといっても差し支えない。むしろ秋葉原は、電気街としての使命を全うした後、漫画・アニメの二次創作や同人誌の愛好家、アイドル愛好家へ訴求する街へと「変貌した」のであり、まして(後述するが)硬派な漫画を主に好む麻生太郎の趣味とは相容れない場所であるはずだったのだ。

 

思うに、その後の秋葉原とインターネット(特に「2ちゃんねる」)を強引浮薄に結びつける風潮を生み出した、その張本人こそが麻生だった。

〈「(麻生外務大臣は)「秋葉原のオタクのみなさん」と呼びかけたうえで、サッカー漫画「キャプテン翼」や歌手の椎名林檎さんなど若者文化の街を意識した軟らかい話題に時間を割き、「こうした日本の文化はアジアに広く行き渡りつつある。日本が孤立などしているわけがない」と訴えた〉(2006年9月10日 毎日新聞)

と、当時の新聞は伝えている。また麻生は翌年2007年9月17日にも、安倍晋三総理大臣(第一次)が電撃辞任した後の自民党総裁選に出馬(結果は福田赳康夫が指名され、麻生は落選。ただしネット右翼や保守層は、福田を「親中派」と見なし糾弾)した際、またも秋葉原で演説を行なっている。

この日集まった聴衆は1万5000人以上とも言われ、麻生陣営にとっては大変手応えのある内容となった。この演説の中で麻生は、「オタクのお陰で、日本の文化、サブカルチャーと言われる文化は、間違いなく世界に発信されている」と旺盛なリップサービスを送る。

〈『オタクのお陰で、日本の文化、サブカルチャーと言われる文化は、間違いなく世界に発信されている』とか、『永田町ではいじめられっ子だがアキバに来たらそうでもない。皆さんに癒やしてほしい』〉(2007年9月18日 毎日新聞)

〈 (前略)麻生氏はその後、単独でJR秋葉原駅前に。昨秋の総裁選で、「オタクの皆さん」と呼びかけ、人気を博すきっかけになった土地だけに「秋葉原に帰ってきました。『アキバ』では何となく癒やしてもらって感謝しています」。国会議員の支持では福田氏に大きく水をあけられている麻生陣営。国民世論への訴えをテコに、地方票や態度を決めていない議員票を取り込んで巻き返しを図りたい。〉(2007年9月16日 朝日新聞)

演説の内容は、秋葉原への手放しの大絶賛に終始。また演説終了後は秋葉原駅前のロータリーを徒歩で一周し街頭の若者と握手をするなど、この時期の麻生の秋葉原、および「アキバ系」を標榜する若者への力の入れようは尋常ではない。

そして、第一次安倍・福田と各1年で終わった短命の「ポスト小泉政権」のあと、晴れて総理大臣となった2008年10月27日には、再度秋葉原で「凱旋演説会」ともいうべき集会を行なっている。

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麻生にとって、アニメ・漫画の街(と映った)秋葉原こそ即ちインターネットの象徴であり、2ちゃんねるの象徴であり、若者の象徴とすら映ったのかもしれない。その後、自民党の政治家が極端に秋葉原やネットユーザーを重視するようになった発端が、麻生の言動にあることは明らかである。

しかし、疑問も残る。こうした政治家側からの秋波が、果たして秋葉原を訪れる人々や「アキバ系」の人々に本当に訴求していたのか。つまり、「アキバ系」と呼ばれる人たちが、本当に政治性を持ち、熱心に麻生太郎や自民党を支持していたのか、という疑問である。

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