米中貿易戦争はこのまま「解決の糸口がない冷戦」へ突入する予感

中国は我慢、米国強硬派は同床異夢
津上 俊哉 プロフィール

冷静派優勢を感じさせるニュース

先週は中国がどう反応するのかを占うニュースが2つあった。

1つは9月24日、国務院新聞弁公室が「中米経済貿易摩擦に関する事実と中国の立場」白書を発表したことだ。日本では「米国の保護主義は国際秩序を破壊し、経済回復の最大のリスク」などと激しい言葉を並べ、「刀を首に突きつけられては交渉できない」と述べるなど、一歩も引かない強硬な立場を示したと報道された。

しかし、「対抗措置の足らざること」を苦にして中国が過激な行動に出ることを心配する筆者は、この白書の中身を「思いのほか冷静だ」と感じた。とくに「外国企業の合法権益を『一視同仁、平等対待』で必ず守る」と高らかに宣言したので、「外資いじめ」の心配はしなくて済みそうだ。

もう1つのニュースは、いささか信憑性に欠ける点もあるが、取り上げよう。昨年来ニューヨークから王岐山副主席を糾弾するネット活動を続けている謎の元富豪、郭文貴が「最近訪中して王岐山に会った米国金融界の大立て者から聞いた話」として、9月20日明らかにしたことだ。

郭によると、招かれて訪中した米国金融界の代表者たちに面会した王岐山は、1.だらしないパジャマ姿で現れて、2.「中国人は……肉も食わず車にも乗らずシャワーを浴びずに1、2年過ごしても平気だ(苦難に耐えられる)。あなたらアメリカ人に耐えられるか?」「トランプに貿易戦争を止めさせなければ(経済が大変調を起こして)、あなた方も大変な目に遭うぞ」などとまくし立てて、米国側客人を辟易させた、というのだ。

これまでも王岐山について、あることないことを並べ立ててきた郭文貴のことだから、ぜんぶ真に受ける訳にはいかないが、王岐山が米国金融界を急に招いたニュースが流れていたので、会見はあったのだろう。

王岐山は師匠の朱鎔基に似て、啖呵を切らせれば名人芸だ。2008年夏のリーマンショック前夜、米国政府が住宅債券(注)をデフォールトさせるのではないかと噂が立ったとき、当時、経済担当副総理の王は「デフォールトさせたりしたら、どうなるか分かっているんだろうな!?」と、時のガイトナー米財務長官を脅しあげたと言われている。(注:ファニーメイ、フレディマックなどの住宅債券。米国債に準ずる信用があると信じられて、中国も外貨準備の一部として大量に保有していた)

しかし、その気になればトコトン恫喝する王岐山がここで発したメインメッセージは、恫喝よりも「中国人は制裁を耐えてみせる」だったように感じる。

北京では今も対抗措置のあり方について議論が続いているかもしれないが、筆者は「屈しない、けど熱くもならない」派が少し優勢なのではないかと希望的観測を抱いている。

 

貿易戦争の行方

米中貿易戦争が長期化することは避けられそうもない。トランプは「2000億ドルの第3弾制裁に報復してきたら、残る2670億ドル全てを制裁の対象にする」と警告していたが、中国側が直ちに600億ドルの報復措置を採ったので、米側が制裁規模を5170億ドルに引き上げる可能性もある。米中双方のサプライチェーンは甚大な影響を被るだろう。

「貿易戦争の経済への影響はそれほど大きくない」とする見方も依然有力だが、筆者は計量モデルを回して試算したGDPへの影響度を信用しない。「商品の価格が関税分上がれば、需要がこれだけ減る、他所へ逃げる」といった単純なモデル計算で、複雑でショックに脆弱なこんにちのグローバル・サプライチェーンが被る影響を正確に予測することはできないと思うからだ。

なにより、いまは、1)ドルの利上げ・流動性回収で世界経済が不安定化している時期、2)世界経済成長の1/3を担ってきた(注:IMF分析)中国経済が減速する恐れのある時期、3)そこに米中貿易戦争が重なり、4)さらにカナダやメキシコ、日本や韓国にも保護貿易主義の影が拡がる気配の時期だからだ。

こうやって「ゾロ目」のように悪材料が揃う中、金融マーケットに異変が起きれば、また「有事の円高」もやって来る。そんな環境下で「貿易戦争の経済への影響」だけを取り上げて論じるのは無意味だと思う。

米中貿易「紛争」は貿易「戦争」に昇格し、いまや米国のメディアは見出しに「冷戦」を使うようになった。問題が安全保障に直結していくと、米中の狭間に立つ北東アジアは、双方から「踏み絵」を踏まされる苦難に晒される。過去半世紀、米中協調体制を当然の前提として経済建設をしてきた北東アジア一帯は、そんな展開になれば衰退が避けられない。

日本の自動車産業がトランプ保護主義の槍玉に挙げられる前に、米国で対中大規模制裁が物価や企業業績に及ぼす副作用が顕在化して、「やはり保護貿易主義はだめだ」という展開になってくれないものか……筆者はお祈りをしたい気分である。