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樹木希林さんの生き様に学ぶ「死ぬまで現役」のための手術の受け方

その施術、本当に必要ですか?

病とともに生きる

「生きるのも日常、死ぬのも日常」――。

9月15日に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)は、かつて自らの死についてこう語っていた。人間はいつか必ず死ぬ。それは当たり前のこと……。ならば最期まで現役であるために「がんと生きる」。それが、彼女が選んだ道だった。

樹木さんの乳がんが発覚したのは'04年のこと。翌年に右乳房を全摘出し、元気に復帰した。

ところがその後、腸、副腎、脊椎など30ヵ所にがんが転移していることが判明。'13年には「全身がん」であると公表し、世間を驚かせた。満身創痍だったに違いない。

しかし、彼女はそんな様子を見せず、精力的に映画への出演を続け、「不死身」とさえ思わせた。

町内会を通じて樹木さんと付き合いがあった男性がこう明かす。

「私にとって彼女は、女優・樹木希林さんでなく、ご近所の内田さん(本名)です。

全身がんであることを公表されたあとも、彼女はいつも自然体の人でした。最後に話したのは6月。そのときも変わりなくお元気でしたが……。活躍された女優さんが亡くなったというより、素敵なご近所さんが亡くなった意味でショックを受けています」

 

できる限りメスは入れたくない。これは樹木さんの信条だったのだろう。'03年に「網膜剥離」(眼球内の網膜が剥がれ体液が流れ込む病気)を発症した際、医師からは「手術しないと100%失明する」と言われた。だが、彼女は手術を拒否する。

結果、左目は失明するも、会見では「これも人生。元々形あるものしか見てなかったけど、これで裏っかわにあるものを見ていくチャンスかな」と明るく振る舞った。

結局、樹木さんが、がんで手術したのは、最初の乳がんの一回だけ。転移が見つかるたびに、その部位を一つずつ手術する方法もあったはずだが、彼女はそれを望まなかった。すでに自分の寿命が見えていたのだろう。

しかし、「痛み」だけは取らないと仕事に差し障る。自分が考える幸せな老後の障害にもなる。そこで選んだのが放射線による緩和治療だった。

樹木さんは鹿児島にある「UMSオンコロジークリニック」に通い「4次元ピンポイント照射」という治療を行っていた。これはCT動画をもとに呼吸によるがんの位置変化を追跡し、放射線を当てる治療法である(保険外のため全額自己負担)。

「脊椎など骨にがんが転移するとかなり痛みが出るので、放射線で和らげていたと考えられます。身体への負担が軽い、放射線治療を選んだからこそ、最期まで役者として生きることができたといっても過言ではないと思います」(東京大学医学部附属病院・放射線科の関谷徳泰氏)