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「半分、青い。」痛々しすぎたのに最後まで見続けることができた理由

「ほっとする」のはなぜだろうか

「ケア」の視点で見続ける

「半分、青い。」が(ようやく)終わった。

もはや、痛々しくて見ていられない。いや、だからこそ見続けた、ともいえる。

ある意味、最後まで見届けることが自分の使命とさえ思うというのは、まるで「ケア」の視点、「見取り」の情……。

「半分、青い。」の後半戦、「つまらなくなった」の声にもかかわらず視聴率が落ちなかった理由はその辺にあるのではないかと思う。

特に、主人公・鈴愛が漫画家をやめて、100円ショップで働き始めた「人生・怒濤編」以降の展開は、登場人物を含めて、ともかく奇怪・奇天烈の連続だった。

この物語をどう終わらせるのだろうか。

数々のヒットドラマを手がけたトレンディドラマの名手・北川悦吏子氏だ。よもや、このまま終わるはずがない。何か「隠し球」が用意されているはず。

いや、逆に「人生・怒濤編」の"中だるみ"は、北川悦吏子氏以外には書けない構成。まさに「神回」、奇跡的なラストに向けての「巧妙に仕組んだネタ」なのかもしれないと、根拠のない確信を持っていたファンも多かったのではないか。

しかし、その「奇跡」を信じた北川ファンも、さすがに最終週の凡庸な展開には「守りきれない」ものを感じたのではないだろうか。

前回、「『半分、青い。』は日本の衰退を教えてくれるドラマだ」として団塊ジュニア史の視点からこのドラマを考察した。

ドラマの終了を受けて「平成最後の上半期朝ドラ」としての「半分、青い。」を振り返りたい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「消化試合」感は否めなかった

ドラマに限らず、舞台でも、小説でも、「最後に何を語るか、見せるか」でその評価は決まる。いわゆる「読後感」と言われるものである。

2018年4月〜9月までの半年間を並走して来た者として、共にゴールを切りたい。

主人公の成長や、未来への希望を共有したい。「朝ドラ」は時に多寡はあっても、見る側の人生への投影でもあるのだ。つまり、主人公へのエールは自分への励ましでもあるのだ。

しかし、今回の「半分、青い。」は、前半こそその側面はあったかもしれないが、後半についてはほぼそうした場面はなかったといえよう。

時折クリーンヒットはあるが、いずれも単発。「消化試合」感は否めなかった。

 

最終回ですら「サプライズ」は鈴愛の初恋相手の「こばやん」。せっかく舞台を岐阜に戻すなら、東京から秋風先生を呼び、菱本っちゃんに五平餅を振る舞い、加えてあれだけ子育てではお世話になっているんだから「三オバ」も招待するべきではないかと思ったりする。

地味な終わり方には、脚本そのものより「キャストの予定が合わなかったのだろうか」等、余計な心配までしてしまう。

そう思うのはドラマの中での「伏線」、つまりは視聴者がその先を予測できるような仕掛けが薄いからである。