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なぜ「政治制度改革」はことごとく“うまくいかない”のか?

「閉塞感」をこれ以上続かせないために

官僚制がきしみ始めている

先ごろ講談社現代新書『崩れる政治を立て直す──21世紀の日本行政改革論』を刊行した。昨年表面化した森友・加計学園問題が再燃し続ける中、いよいよ政権交代が行き詰まりの局面に入り始めた。そう直感する中で、徐々にもたげてきた危機感に駆り立てられるようにして書いたものである。

もっとも最初の危機感を覚えたのはあの東日本大震災であった。現在は東京大学先端科学技術研究センターに所属しているが、前任校は東北大学。震災のあと、被災地復興のため、現地調査やメディアへの発信などで忙しい日々だった。

東京に転任したのは2013年4月。前年末に成立したのが第二次安倍晋三政権であり、幸か不幸か、私の東京での研究生活は、この政権と並走する日々となってしまった。

地方での静かな生活は震災で一変したが、東京では、震災の混乱はそれなりに過去のものとなりつつあったとはいえ、安倍政権の不思議な状況に、ある種の説明欲をそそられた。

財政危機を先送りした異次元緩和による経済政策の当面の成功、誇らしげに語る外交、内政の混乱という珍妙な取り合わせは、一体何なのか。またとない歴史の瞬間に立ち会っているようにも思えたのである。

この中で昨年あたりから継続して問題化している森友・加計学園問題は、それまでの官邸チームの中枢にいた安倍首相夫人の昭恵氏にまつわる疑惑であり、首相自身の加計孝太郎氏との癒着である。

問題の根源が、官邸、財務省、内閣府といった政権の中枢であり、文書廃棄、公文書改竄、虚偽答弁、そして官邸の各省への人事統制と「忖度」であった。

官邸と官僚制がきしみ始めている。そして政権はこのきしみに手をこまねいている。

長年官僚制研究を続けてきた私にとっては、新しい危機が到来したと強く感じられた。ちょうど震災という突発的・甚大な被害とは対極の、日々少しずつ進行し、崩れゆく政治と行政という危機である。

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当時、あわせて感じ取られてきたのは、企業や役所の現場で起こっている閉塞感である。日常生活がもはや誰にも止められない過剰なシステムの進行に支配されているという諦念が様々なところから聞こえてくる。

人手不足が一因だが、やはり先行する情報化の進行も大きな原因である。その典型が、連日最高気温40度を越える猛暑の日々が続く中で安倍首相周辺から打ち出された、東京オリンピックをにらんでのサマータイムの導入である。マラソンの午前七時出走を、二時間早めることで選手の負担を和らげようというのである。

ヨーロッパで普及しているサマータイムは一時間の繰り上げであり、2時間は国民の健康を阻害するという冷静な批判が出た。そして、情報システムの書き換えが間に合わないという悲鳴に近い意見が、専門家から次々と発せられる。

「2000年問題」がどれほど大変だったか──それは、アマゾン・プライムで配信されたアメリカのインテリジェンス・ドラマ『倒壊する巨塔 アルカイダと「9・11」への道』でも「2000年問題」が一テーマになっていたことからもうかがえる。

サマータイム問題には、すでに二年を切った2020年に向けてのシステム変更を無理強いする、現場を無視した「トップダウン」の政治の危険性がはからずも出ているのである。