〔PHOTO〕Gettyimages

「翁長君は誤解されている」元知事が明かす沖縄、不条理の正体

そして「真のオール沖縄」へかける思い
基地推進派と基地反対派の一騎討ち。今回の沖縄県知事選は、そうした構図で語られがちだ。しかし、それほど単純な話として捉えていいのか。「本土」からは見えないものがあるのではないか。ノンフィクションライターの石戸諭氏が、選挙戦真っただ中の沖縄で要人たちに話を聞き、その複雑な感情の地層に触れた。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

沖縄県政を知り尽くした元沖縄県知事・稲嶺恵一。1998年、経済界を中心とした支持のなか擁立され、自民党のバックアップを受けて「基地反対派」から県知事の椅子を取り返した人物である。今年8月に急逝した翁長雄志前知事とは深い関係を結んでいた。葬儀でも弔辞を読みあげた稲嶺は、この知事選をどう見るのか。友人・翁長、そして真のオール沖縄への思い——。

翁長氏が受けていた「誤解」

《翁長君のことを本土の人たちは誤解しがちです。なんで彼が左、革新の政治家なのか。辺野古に新しい基地を認めないと反対したからですか? まったく違います。彼は沖縄の保守政治家として亡くなっていったんです。これだけは忘れてほしくないですね。》

任期中の8月に亡くなった沖縄県知事・翁長雄志について、強い口調で「本土の誤解」を語るのは稲嶺恵一・元沖縄県知事である。

稲嶺恵一元知事〔PHOTO〕著者撮影

1933年生まれの84歳。1998年から2期8年にわたって沖縄県知事を務めた。沖縄を二分した初当選時の選挙は「稀に見る激戦」として、今でも語り草となっている。

基地問題で国と対峙した大田昌秀県政のせいで「革新不況」に陥っていると相手陣営を強烈に批判し、自民党の後押しを受けて「政権奪還」を果たした。選挙で重要な役割を果たしたのが、自民党沖縄県連幹事長(当時)の翁長だった。彼ら二人は同志である。

大田は沖縄の米軍基地を認めない、日米安保とは違う平和政策を目指すという沖縄革新の象徴的存在であり、県民からも高い人気があった。

保守派が政権を取るために何をすべきなのか。選挙をよく知っていた翁長には秘策があった。自身のパイプを使って、長年、大田県政を支えていた公明党を切り崩し、稲嶺支持を取り付ける。その後、国政レベルでの自民・公明の協力も後押しして、稲嶺県政を誕生させたのだ。

 

普天間飛行場移設問題について、稲嶺は「基地固定化を避けるため、例えば15年の使用期限を設けること」「軍民共用空港とすること」を当時の公約に掲げていた。翁長も県内移設には賛成していた。

そうであるにもかかわらず、彼の晩年の主張は普天間飛行場の辺野古移設は絶対に認めないという、表面だけみれば、過去の大田ら革新の主張に接近している。転向したかのようにも見える。

事実、辺野古移設反対を結節点に翁長を支えた「オール沖縄」には経済界、保守系だけでなく、共産党や社民党といった革新陣営もいる。

なぜ、翁長が保守派を貫いたと言えるのか。そこには「沖縄」が抱える複雑な事情、感情が見え隠れする。

稲嶺は諭すような口調で、静かに先人の言葉を引用した。

《「沖縄の心」とは何かと聞かれて、「ヤマトンチュになりたくて、なり切れない心」と語ったのは、沖縄保守の大物政治家だった西銘順治先生の言葉です。

翁長君は僕から見ると西銘さん直系で、ウチナンチュとヤマトンチュの違いを非常に強く意識していたと思います。この精神が大事なのです。

自民党時代の翁長君は確かに辺野古移設に賛成していました。その後の議論の中で、彼はおかしさを感じたんじゃないかと思うんです。

沖縄では議論を重ねているのに、いつまでたっても日本全体は、外交や国防という問題は自分たちには蚊帳の外、関係ない問題だ、という意識で沖縄に多くの基地負担を押し付けている。

それについて、改善の努力もしない。そんな状況にしびれを切らしたんでしょう。》