# 金銭教育

なぜ現役経済記者が、娘のために「おカネの小説」を書いたのか?

日本の「金銭教育」に足りないもの
高井 浩章 プロフィール

腹落ちに不可欠な「物語」

肌感覚とエンゲージメント、そして最後まで読ませるエンターテインメント性。この3つをクリアする答えが、物語形式の読み物、つまり小説だった。

本業の新聞でも、読者がのめり込んでくれる記事には物語(ナラティブ)がある。経営者や政治家のいわゆる人モノ、あるいは一国の歴史の流れを感じられるストーリーに、人は引き付けられる。人間の最大の関心事は、やはり人間だ。

『おカネの教室』は、読者(=娘たち)が「そろばん勘定クラブ」の一員になった気分で物語に入り込み、キャラクターに共感することでお金と経済を「自分事」と感じ、腹にストンと落ちる読書体験をもたらすように書いた。そうでなければ、実践的な知を伝えられない。

『おカネの教室』主な登場人物(左からサッチョウさん、ビャッコさん、カイシュウさん)

(C)ウルバノヴィチかな/インプレス 2018

『おカネの教室』は、職業倫理と経済成長のメカニズム、リーマンショックの背景、「神の見えざる手」、売春やギャンブルがなくならない理由、タックスヘイブンと格差問題など、広範な話題をカバーしている。

いずれも私が「自分の娘に大人になるまでに知っておいてほしい」と思ったテーマだが、中高生でもわかる言葉でこれらを解説しつつ、小説としての面白さを両立させるのは、相当アクロバチックな作業だった。それでも、書き上げてみれば、お金の大切さと怖さの二面性に気づかせ、だからこそ経済は不思議で面白いというメッセージを伝えるためには、小説形式は最良の選択だったと思う。

出版の予定もなく書いてきた家庭内読み物が完結したとき、「せっかくだから友達にも読んでもらおう」とファイルをばらまいた。これが予想以上に好評で、試しにKindleで個人出版したところ、1万ダウンロード超とこれまた予想外のヒットとなり、それがきっかけで、大幅にリライトしたうえで今春、書籍として世に出た。このあたりの詳しいいきさつはnote(https://note.mu/hirotakai)で無料公開しているのでご興味があれば。

 

書いたのは「当たり前」のこと

最後に、読者の面白い反応と私の解釈で締めくくりたい。

Amazonなどの低評価のレビューでは、そろって「内容に新味はない」「大人ならわかっていること」「お金や経済について新しい知見は得られなかった」というご指摘をいただいている。

ごもっとも。そう、『おカネの教室』で私が書いたことは、大人ならわかっているべきこと、市場経済をベースにした現代社会のプレイヤーなら心得ておくべき基本ルールにすぎない。だが、同時に、こうした批判的な声をはるかに上回る数の読者から「初めて経済のことがスッキリとわかった」「目からウロコが落ちた」という声をいただいている。

つまり、こういうことだ。

多くの人は、経済の基本ルールをしっかり把握しないまま、お金と不可分の実社会というゲームに投げ出されている。プレイヤーの大半がそうなのだから、「当たり前の基本」を知っているだけで優位に立てる。それこそまさに、家庭内連載を通じて娘に伝授しようとしたアドバンテージだった。

お金なんて誰でも日常的に使っているものだし、経済や金融の仕組みなんてその気になって勉強すればそう難しいものではない。それでも「『経済がちょっと分かる』だけで凄い」となってしまうほど、日本人の金融・経済リテラシーは低い。ここには「金融は虚業でモノづくりこそが王道」「お金は汚く、卑しいもの」「株式投資はギャンブル」といった昭和な価値観がしぶとく影響しているとみられるが、そうした論考はまたの機会に。