「新潮45」休刊…あるライターがみた「その時までに起こったこと」

知らされたのはあまりに突然で…
伊藤 達也 プロフィール

ノンフィクションと、ヘイトスピーチと

まず、筆者の個人的な当事者性の話をしておきます。私は1年ほど前から「新潮45」で仕事をしており、取材やインタビュー構成などを担当したほか、ノンフィクションライターとして署名原稿も3回執筆しています。

そういうと、この1年半に進んだ、同誌の急激な保守化の波に乗じたライターのように思われてしまいそうです。ただ私自身には、そうではない、という意識があります。

従来のノンフィクション路線から、過激な保守オピニオン路線へ舵を切った――と評されることも多い「新潮45」ですが、たしかに特集では明らかな保守路線を走るようになっていたものの、そのほかのページについては、取材に基づくノンフィクション記事を執筆できる、いまとなっては数少ない媒体でもありました。

 

連載陣を見ても、保阪正康さん(ノンフィクション作家)や片山杜秀さん(慶応大学教授)の寄稿、厚生労働省麻薬取締部の元部長である瀬戸晴海さんの「マトリ」など、質の高い記事・論考が数多く揃っています。先日まで連載されていた山田ルイ53世さんの「一発屋芸人列伝」は、毎号面白く読んでいましたし、休止中でしたが、ビートたけしさんの対談連載なども十分に読み応えがあり、こうした特集以外の部分を楽しみにしている読者も多かったでしょう。

出版事情に詳しい方には周知のことかもしれませんが、講談社のノンフィクション誌「月刊現代」が休刊して今年で10年。原稿用紙で10枚以上の取材記事を書けるようなノンフィクション誌は、言ってしまえば絶滅危惧種です。

私のような若輩のライターからすれば、「新潮45」は取材費が出てルポルタージュが書け、原稿を掲載できる貴重な場でした。特集の路線そのものは自分の主義主張と異なっていても、「雑誌」とはまさに雑多な意見がさまざま載るものであり、書き手としてはその場に書けることに喜びを感じていました。それくらいの格のある雑誌だからこそ、今回の問題も大きくなったわけです。

私の何回かの寄稿の中には、特集の一部として掲載された記事もあります。「男が生まれにくい家系はあるか」(特別企画「天皇家のDNA」のひとつ)は、まさに杉田水脈氏の記事が掲載された8月号に寄せたものです。

この記事で私が書いたのは、生物学的な性差がどう決定されるかに関する遺伝学的な解説と、血友病など、女性が保因し男性が発症する病気の紹介、「女腹」という迷信や一部で信じられている「産み分け法」に対する、医師の見解に基づく批判でした。生殖医療の取材を続けてきた者として、世間の偏見を拭う一助になるような原稿を書いたつもりです。

なにが言いたいかといえば、仮に全体の編集方針が偏っていたとしても、そこに棹さすだけではなく、ひとりひとりの書き手がまっとうな論説を心がけることはできるということです。それでも、この雑誌で書いていたということそれだけで、批難を受けることはあるのかもしれませんが。

杉田議員によるLGBTについての寄稿が問題を起こしていると知ったときの感想も、「言わんこっちゃない!」というものでした。

というのも、今年のはじめ、私は編集部から「杉田議員に取材して、原稿をまとめないか」という依頼を受けていたからです。ふだん私は、取材相手の思想信条、考え方が自分と違おうが、基本的にスケジュールの都合以外の理由で仕事を断りません。

ただ、このときばかりはお断りしました。取材者として、いわゆる保守論壇に対して以前から(批判的な視線で)関心を寄せていた私は、杉田議員のそれまでの言説も知っていたため、直截に言えば、「とても世に広く紹介すべき見識の持ち主ではない」と考えたのです。

個人的には、保守路線は一つの編集方針として受け入れるとしても、差別・ヘイトスピーチに類するものに加担したくはない、という思いがありました。その後、編集長から「嫌いならしょうがない」と連絡が届きました。