進化論の元祖ダーウィンとウォレス、どちらが偉い?

いい人なのに残念だったのは……
更科 功 プロフィール

ダーウィンに匹敵するウォレスの業績

このように苦労したにもかかわらず、ウォレスの業績はほとんどダーウィンにひけを取らない。それでは、ウォレスとダーウィンの業績を比べてみよう。

『種の起源』でダーウィンが主張していることは、

(1)生物が進化すること。
(2)進化のおもなメカニズムは自然選択であること。
(3)進化のプロセスで系統の分岐が起きること。

の3つである。

それぞれを一言でいえば、(1)進化(2)自然選択(3)分岐進化だ。ダーウィンが行った研究は膨大なものだが、その中でもっとも大きな業績は、この3つである。そこで、この3つについて、ダーウィンとウォレスを比べてみよう。

ちなみに、自然選択にはいくつかの種類があり、ダーウィンやウォレスが発見したのは、その中の「方向性選択」だ。つまり、正確にいえば、ダーウィンやウォレスは「自然選択の一部」を発見したのだ。しかし、一般には、ダーウィンやウォレスは「自然選択」を発見したと言われることが多いので、ここでも「自然選択」を発見したと言うことにしよう。

【区切りケイ】

さて、それでは(1)「進化」から、順番に検討してみよう。

生物が進化することは、ダーウィンもウォレスも主張している。もっとも当時(19世紀半ば)のイギリスでは、生物が進化することを主張した人は何人もいた。しかし、彼らは、事実によって進化を実証しようとはしなかった。進化を実証しようとしたのは、ダーウィンとウォレスが初めてである。

ウォレスが進化に関する論文(種が近縁種から生じるという論文。ボルネオのサラワクで書かれたのでサラワク論文と呼ばれる)を最初に発表したのは1855年なので、少なくとも発表に関してはダーウィンより早い。

ダーウィンの進化論が初めて発表されたのは1858年7月のリンネ学会で、このときはウォレスの別の論文(テルナテ島で書かれたのでテルナテ論文と呼ばれる)も一緒に発表されている。そして、その内容が記載されたリンネ学会紀要は8月に出版された。したがって、(1)進化に関する発表は、ウォレスの方が早いのだ。

(2)「自然選択」については、少し事情が複雑である。

1858年に自然選択という考えに到達したウォレスは、それを論文(テルナテ論文)にまとめ、ダーウィンに送った。この論文をそのまま発表すると、自然選択説の先取権はウォレスのものになってしまう。

ダーウィンの友人たちは、ウォレスより20年も前(1838年)に、ダーウィンが自然選択説に到達していたことを知っていた。そこで、友人たち(イギリスの地質学者チャールズ・ライエル(1797〜1875)とイギリスの植物学者ジョセフ・ダルトン・フッカー(1817〜1911))が画策して、ウォレスとダーウィンの論文を同時に発表することにした。それが先に述べた1858年7月のリンネ学会である。

【写真】ライエルとフッカーの肖像画
  キャプ チャールズ・ライエル(Sir Charles Lyell, 1st Baronet、1797〜1875、左)とジョセフ・ダルトン・フッカー(Sir Joseph Dalton Hooker、1817〜1911) photo by gettyimages

したがって、いろいろと事情はあったにせよ、ダーウィンとウォレスの(2)自然選択説の発表は同時である。ちなみに、リンネ学会の会場では、ダーウィンの論文が先に読まれたそうである。

(3)「分岐進化」はどうだろう。ウォレスは1855年のサラワク論文で分岐進化について述べている。一方、ダーウィンが分岐進化説を初めて発表したのは、これまた1858年7月のリンネ学会である。したがって、分岐進化説の発表はウォレスの方が先だ。

【区切りケイ】

今の話をまとめると、発表した時期は、(1)進化はウォレスが先で、(2)自然選択は2人同時で、(3)分岐進化はウォレスが先ということになる。