「日本人」はいつまで「単一民族」として語られるのか

「ハーフ」の存在から日本史を問い直す
下地 ローレンス吉孝 プロフィール

「ハーフ」をめぐる議論は昔からあった

「ハーフ」といえば、最近のテーマだと感じる人も多いのではないだろうか。

たとえば、「最近日本は多様化している。その象徴として『ハーフ』の議論が活発になっている」「日本は単一民族の国だから、『ハーフ』は新しいテーマだ」と考える人もいるかもしれない。また、「メディアでも最近『ハーフ』が増えたなぁ」と思う人も多いだろう。

もちろん、人口的には少数派である。だが、近年になって国際結婚や移民が増加したことで「ハーフ」と呼ばれる人々が増えたことは間違いない。

そして、現実として、私のように「ハーフの親から生まれた子ども」も着実に増えているとおり、すでに「ハーフ」が暮らす社会となっている。

ここで面白い記事があるので紹介したい。

1953年にデビューし「混血モデルのはしり」と称されたヘレン・ヒギンスさんは1966年に雑誌『週刊現代』(1966年1月号)の中で以下のように答えている。

「いま“混血ブーム”といわれますが、たしかに私たちファッション界にも驚くほど混血モデルはふえましたね。もちろん、それは日本の経験という一つの現実がもたらしたものと思います。あのころ生まれた子供たち、とくに混血児たちもモデルになれる年齢になったといえますが……それだけに、かつて混血モデルとめずらしがられた私にとっては、そこに“時代”を感じるんですよ……」(p56)

このように、今から50年以上も前からすでに「最近増えた」「時代を感じる」と言われていたことが非常に興味深く感じられないだろうか。

さきほども述べたとおり、シンプルに人口が増加していることはもちろんなのだが、「こまっちゃうナ」などのヒット曲で知られる山本リンダさんにせよ、「鉄人」と言われた広島カープの衣笠祥雄選手にせよ、多様な人々は過去にもたくさん活躍していた。

「ハーフ」や「混血」の現実は、「最近のテーマ」や「今後の問題」なのではなく、すでにこの日本社会の一部なのである。

 

「ハーフ」問題が繰り返される理由

「混血」や「ハーフ」の研究や調査をしていて感じることがある。それは、どうやらこのテーマは<最近突如として湧き上がってきた新しいテーマ>というわけではないという点である。

日本の戦後史やメディア資料を概観すれば、かれらをめぐる議論は何度も登場している。しかし、その議論が沸き起こるたびに、なぜか最近の問題であるかのよう語られてしまう事態が繰り返されている。

それは、先ほどいったような「現実」――「混血」や「ハーフ」の存在が日本社会の一部であるという現実――が、なかなか受け入れられていないからなのではないだろうか。

「日本人」や「日本社会」の領域に「混血」や「ハーフ」の存在が組み込まれてこないからこそ、現実の一部として認識されず、いつまでたっても「最近のテーマ」で「今後の問題」とされてしまうのではないだろうか。

日本人や日本社会を単一民族のイメージとして描く発想はいまだ強固であり、日本人と外国人をこの発想から単純に二分化する公式は、新聞でもテレビでも日常会話でも、あらゆる場面に顔を出す。

これは外国人労働者や移民の受入れの議論、さらには多文化共生の議論の中でも、一部の論者(※3)を除けば、「日本人」と「外国人」を固定的にとらえる前提はしばしば繰り返されている。

いつまでたっても、受け入れる側の「日本人」と、受け入れられる側の「外国人」は固定的に語られる。

受け入れる側の「日本社会」と「日本人」がすでに多様化しているという現実は、これらの議論ではそもそも、あらかじめ想定されていないのである。

「ハーフ」と呼ばれる人々は、その存在が十分に認められないまま、「日本人」か「外国人」かのどちらか一方に強く引っ張られてしまう。それによって、その存在そのものが見えにくくされてしまっているのである。