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朝倉祐介氏語る「リスクだらけの人生を生き抜くための“プランB”」

「退路を断つ」という無責任
マネー現代編集部 プロフィール

自ら選んだもので、自分の価値を高める

小学生にして孤独に強くなったことは、その後の成長過程や進路選びに大きな影響を与えることになります。

孤独への耐性がある人というのは、他人と違った意見や考えを持つことに苦痛を感じません。「みんなが言っているから」ではなく、自分で考えるようになりますし、必然的に周囲の常識や多数派の意見を批判的に観察するようになります。御多分にもれず、私も既存の価値観を疑う中学生に成長しました。

中学時代、私は難関高校の合格率日本一を標榜する進学塾に通っていました。まだ体罰が珍しくない時代でもあり、忘れ物をしたり、テストの点数が悪いと竹刀やノートの束で叩かれるという厳しい塾でした。そんな環境で勉強するにつれ「どうしてこんなしんどい思いをしてまで、『いい』高校に行かなきゃならないんだろう?」と考えるようになったのです。

それはいい大学に行くためで、なぜいい大学に行かなきゃいけないかというと、おそらく、いい会社に就職するためだろうと。それでは、なんでいい会社に就職しないといけないんだろう?と考えると、それはおそらくいい給料をもらい、世間体の悪くないステイタスと生活環境を得るためであろう。

なんでそんなことをしなければいけないんだっけ? と考えて、愕然としました。

それは自分の意思とは関係なく、世の中に敷かれたレールを順当に進み、人様から、「この人間はまあまあうまく幸せにやってるよね」と思われるために過ぎないじゃないか、と気づいてしまったのです。それって結局、「他人の尺度」で測った「幸せ」でしかないんじゃないか。そんなものは自分にとって、何の意味もないんじゃないか。そんなことを、14歳くらいのときに思ってしまったんです。

そんなことよりも、自分が本当に好きなことに人生を捧げ、時間を費やすことの方がどれだけ幸せだろうか、と考えました。本当に好きなことを仕事にできれば、もらえるお金や社会的ステイタスなどどうでもいいし、まして人からどう思われるかなんて関係ない。自分が満足感が得られればいいではないか、と。

反対する親を説得した私は、中学卒業後、オーストラリアの騎手養成学校に入学しました。馬が好きだったこと、技量があれば世界中どこででも活躍できることに、強い魅力を感じたのです。

人の言葉に左右されず、自分の頭で考え、選び取ったテーマを通じて自分の価値を高め、自身にとっての幸せを追求していきたいという考えが、このころから私の中にあったのだと思います。

 

好きなことで稼ぐ喜び

しかし、結論から言うと、渡豪して1年で、私は挫折して帰国することになりました。成長期だったこともあって身長が一気に伸び、減量に苦しんだ挙げ句、体調を崩してしまったのです。

帰国して実家に戻ったものの、16歳にして日々やることもなかったので、人生初めてのアルバイトを経験することにしました。甲子園球場でのビールの売り子です。

甲子園球場ですから、タイガースファンが圧倒的多数です。新入りは基本的には1塁側には行かせてもらえません。3塁側の相手チームの応援席に行き、点が入ったら「おめでとうございます!!」などと言って買ってもらいました。

歩合制なので、買ってもらえないことには話になりません。ビールの売り子というと、どうしても女性の方が有利なのは否定できません。だから、応援団のおっちゃんたちにひたすら話しかける戦法をとりました。当時、中日に同姓のピッチャーがいたので、「僕、朝倉っていうんですよ」なんて話しかけたりしてね。

それまで消費する一方だったので、お金を稼ぐということには喜びを感じました。

とはいえ、やはり馬に関わる仕事がしたいという思いは断ちがたく、ハローワークに通って求人探しの末、北海道の牧場で働き始めました。16歳の春です。

朝早くからの重労働、休みは日曜休みが月2回あるだけです。生き物相手の仕事なので、休日でもエサやりだけはしなくてはいけません。

馬房(馬小屋)の掃除から1日が始まります。普段はフォークを使って馬糞を取るんですけど、そのフォークが足りないことがあって、そんなときは馬糞を手づかみして掃除していました。今なら汚いなあと思いますが、当時は全然平気でしたね。その日の糞の固さで健康状態がわかるんです。

牧場での生活はハードでしたが、とても楽しいものでした。働いてお給料をもらえるのもうれしかったですし、誇らしくもありましたしね。