ニッポンの名車が眠る「宝箱」日産の秘蔵コレクションがスゴすぎる

ハコスカ、ケンメリ、ZにGT-R…

輸入車をも圧倒した「初代シーマ」

スカイラインやZのような「速い」「カッコいい」クルマが主流だった70年代と比べ、レジャー文化の花開いた1980年代には、日産のクルマはさらに多彩に進化していく。

そんな時代を象徴する一台が「Be-1」だ。

「遊び心があるクルマ」をコンセプトとする、日産の「パイクカー」シリーズ第1弾となった同車は、1985年の東京モーターショーに参考出品されるや、個性的なスタイリングが大反響となり注文が殺到。1万台の限定生産だったため、購入者を抽選で決めなければならないほどの人気ぶりだった。

パイクカーシリーズの「Be-1」(右)と「パオ」

「『マーチ』をベースに面白いクルマを作ろうということで、デザインコンペを実施したんです。社内のデザインセンターで作るAチーム、アパレル業界のデザイナーが中心のBチーム、イタリアのデザイナーが集まったCチームが参加したのですが、Bチームが提出した『B-1案』がとりわけ面白くてかわいいと、評判が高かった。そこでデザイン案の名称を少しだけ変えて、『Be-1』という車名になりました」(中山氏)

パイクカーシリーズはその後、「パオ」「エスカルゴ」「フィガロ」の3車種が発売され、いずれも個性的なデザインで好評を博した。現在もこれらの車両は多くの愛好家がいるほどだ。

内装にもこだわった「フィガロ」

80年代には、絶頂期を迎えつつあった日本経済を反映する高級車も登場し、人気を博した。1988年に発売された「シーマ」だ(写真は『セドリック シーマ タイプⅡ リミテッド』)。

3ナンバー車として開発された全長5mものロングボディは、国産車の常識を覆す広くゆったりとした室内空間を実現。そこに日本車初のV型6気筒ツインカムターボエンジンを搭載し、圧倒的な加速力を誇った。

「デザインは極めて上品なのに、走りは圧倒的に速いという、それまでの日本車にはなかった新しい価値が認められて、富裕層を中心に『シーマ現象』と呼ばれるほどヒットしました。外国車から乗り換える人も多かったですね」(中山氏)

初代シーマ

いまも人気の「ハイト系」の元祖

ポップなデザインのコンパクトカーからラグジュアリーカーまで、1980年代はクルマも個性を競う時代だった。だがその後、1990年代に入ると、一般ユーザーはクルマの「実用性」を重視するようになっていく。

そうしたニーズに応えたのが、1998年に登場した「キューブ」だった。

キューブ

全高1625mmという背の高いクルマで、現在も人気の高い「ハイト系モデル」の元祖となった。テレビCMの「アソブ、ハコブ、キューブ」というキャッチコピーも親しまれ、累計40万台を売り上げた。

「80年代の若者にとって、クルマは『デートのときに乗るもの』でした。しかし90年代になると、3~4人の仲間で集まってクルマで遊びに行く、というシチュエーションが増えた。そこで、男性4人が乗っても、ゆったりくつろげるようなクルマを開発したんです」(中山氏)