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日本の民主主義と野党再生のカギは「聖霊政治」にあり

橋爪大三郎の「社会学の窓から」①

民主主義には「投票の精神=たましい」が必要

大統領候補がしのぎを削っていた2016年の春、アメリカでTVを観ていたら、ある中年の婦人が取材を受けていた。

彼女は、共和党の予備選で、ルビオかクルーズか、迷っていた。いくら考えても決め手がない。投票当日の朝になっても、決まらない。投票所に来ても、決まらない。ついに投票マシーンの前まで来てしまった。(この州は、タッチパネルで候補者に投票します。)

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そこで彼女がやったのは、二人の候補者の画面に同時にタッチすること。同時でも、わずかな差で、どちらかに一票が入る。彼女は満足そうに、そう語った。人間に偶然とみえても、そこに神の意思が働く。彼女は、最後の瞬間に、「聖霊」(Holy Spirit)のたすけを借りて投票したのである。

公職に就く人びとを、選挙で選ぶのが民主主義だ。二世紀あまり前、アメリカ合衆国がこのやり方を始めた。では、選挙をしさえすれば、必ず民主主義になるのか。そんなことはない。選挙を採用している国は世界に多いが、民主主義がまともに機能している国は、ごくわずかだ。

なぜだろう。

投票には、投票の精神が必要なのだ。投票は、人間が行なう。でも、自分のために投票してはいけない。神の意思に適うように、聖霊に導かれて投票する。この精神がないところでは、民主主義がうまく行く保証はない。

 

アメリカの民主主義の基礎を築いたのは教会だった

アメリカの民主主義のもとになったのは、会衆派(コングリゲーショナル)とよばれるプロテスタント教会のやり方だ。プロテスタントには、大きく分けて、二種類ある。かたや、上部の言うことをきくピラミッド組織の「長老派」。かたや、個々の教会が対等で、互いに独立している「会衆派」。

アメリカ植民地に拡がったのは、ピルグリム・ファーザーズらピューリタンをはじめ、会衆派が多かった。彼らは、信徒の一人ひとりが神とつながっていると考えるので、組織(教会)を信用しない。どうせ人の集まりではないか。とは言え、礼拝や聖餐式は必要だし、説教も聞きたい。

そこで教会はつくって、役員を選挙で選ぶ。議長、書記、会計、…。役目にふさわしい候補者に、一人一票で投票する。その際、仲がいいから、自分が得するから、同窓生だから、…みたいな理由で投票してはいけない。適任かどうかだけを考えて投票する。神のための役目だから、神の意思に適うように投票すべきなのだ。

投票はこのように、神聖なことがら。選挙の結果は、神に選ばれたという意味になる。この会衆派のやり方が、アメリカの民主主義の基礎になった。当選した大統領が、聖書に手を置いて宣誓するのも、そうした意味がある。

聖霊は、キリスト教徒が考えた「フィクション」かもしれない。でも、その効果は明らかだ。聖霊は、人間と神をタテに結ぶ。人間同士のヨコのつながりと無縁だ。

「聖霊に導かれて投票する」は、「人間に影響されて投票しない」なのである。権力(人間の人間に対する影響力)を排除しようという、強い意思がある。よって民主主義は、独裁や全体主義に抵抗する、最後の拠点になる。