それでもサービス業で働いているわたしたちは、笑顔でご主人様を満足させなくてはいけない。何度もベルを鳴らすテーブルに優先的に行き、文句を言う客の注文には『特急』マークを付けて伝票を送り、レジでは値引きをして頭を下げる。そうやって、文句を言われないようにペコペコ頭を下げて対応する。

思いやりや気遣いどころか、「お客様を怒らせてしまう」というプレッシャーのせいでてんてこまいだ。これが『圧力』でなくしてなんだろう。しかも客は良い客でいればいるほど『お客様特権』を享受できないのだから、だれも幸せになっていない。得をするのは、ゴネる客だけである。

「心配り」と「一方的な奉仕」の違い

わたしは『おもてなし』というものを、一方的な奉仕ではなく、心配りの連鎖だと思っている。「お客様のために」というサービス提供者からの気配りを受け、客はそれに感謝し、提供者を思いやって良い客であろうとする。

たとえば、ディズニーランドとリッツカールトンホテルでの体験は、まさに『おもてなし』だった。

ディズニーランドのスタッフに写真をお願いすると、ポジションやポーズのおすすめを教えてくれるうえ、びっくりするくらい良い写真を撮ってくれる。そこには、ただシャッターを切るだけでなく「最高のかたちでフレームに収めよう」という心配りがある。

また、リッツカールトンに泊まって食事をしたとき、ホテル業界志望であることを何気なく言ったことがある。そうしたら、帰りがけに「一緒に働けるのを楽しみにしています」と書かれたカードをいただいた。結果的にホテル業界へは進まなかったが、そう言ってもらえる価値がある良い客でいようと思ったものである。

相手をより満足させる+αの気配りこそ、『対価を求めない創意工夫』であり、『おもてなし』だ。そして客がそれに感謝するからこそ、『おもてなし』は美しいのだ。

ディズニーの写真サービスはお金を払っても大満足のものも多い Photo by iStock

ディズニーやリッツカールトンといった「レベルが高いところ」でなくとも、たとえば夫婦がやってる小さな小料理屋で「この前ナスが苦手と言っていたからニンジンにしておきましたよ」と言われ、「ありがとう。また来るよ」なんていうやり取りも、立派な『おもてなし』だと思う。

それなのに、多くのサービスの現場では、接客をマニュアル化して客との距離をとっている。過剰に下手に出る接客でないと納得しないオキャクサマが多いからだろうか。

これではまったく美しくないし、他国に自慢できるようなものではないんじゃないか、と思ってしまう。

「おもてなし」は細やかなもの

『おもてなし』はもっとクリエイティブで、相手の要求を汲み取る細やかさがあるものだったはずだ。相手の心にそっと寄り添うよう慎ましやかな気配りが、なぜこうも荒々しく自分勝手な要求になってしまったんだろう。それが残念でならない。

『おもてなし』を日本の魅力としてアピールする前に、『おもてなし』の本質と現状のズレをもっと自覚すべきじゃないだろうか。

そうしなければ、客は当然のように対価のない奉仕を求め続け、現場は『おもてなし』の圧力に疲弊して擦り切れてしまう。

『おもてなし』の本質を見つめなおし、サービス提供者と客の双方が「相手のために」と思うことではじめて、日本は胸を張って『美しきおもてなしの国』と言えるはずだ。

次回は、このいびつな『おもてなし』の根源にあるサービス提供者と客の上下関係、そしてサービスの有料化について考えていきたい。

日本が誇るアニメと漫画カルチャー、確かに素晴らしいし人気だけれどオタクはやっぱりオタクです。部活が過酷なのは当たり前? 日本スゴイと言ってるのは日本だけかも? ドイツでの就職、甘かった! ……等々、雨宮さん自身の体験をもとに書かれた、具体的な比較文化論。