石破茂氏は「憲法学通説」を絶対視する必要などまったくない

改憲問題から見えた安倍首相との違い
篠田 英朗 プロフィール

憲法学者の「連想ゲーム」

ところが従来の憲法学の通説では、「戦力」を言葉のイメージだけでとらえる。そしてそのイメージで自衛権行使の手段としての軍隊まで違憲だ、と主張してしまう。しかしそれはいわば「連想ゲーム」のようなものだ。

憲法学者はこうした「連想ゲーム」を、カール・シュミットなどを参照しながら発展させる。しかし、1945年以降の国際法や、アメリカ憲法の思想史、そして日本国憲法制定当時の国際環境などを参照することを拒絶する。

9条2項の「交戦権(rights of belligerency)」否認についても、同じような錯綜が見られる。

憲法学の基本書では、国際法が認めている戦争をする権利としての「交戦権」を、あるいは交戦者が持つ権利としての「交戦権」を、日本国憲法9条2項は放棄しているのだ、といった説明がなされる。

そして、だから「自衛戦争」なるものが遂行できず、結果として、自衛権は行使できず、自衛権を行使するための手段も持ってはいけない、などとされる。

これは嘘である。

 

戦争は一般的に違法なのだから、戦争をする権利などあるはずがない。交戦者が持つ特別な権利としての「交戦権」などという権利も存在しない。現代国際法において「交戦権」は存在していないのだ。

9条2項は、単に存在していないものを、あらためて否認しているだけの条項である。存在していないものを否定しても、現に存在している自衛権の否定にはならない。

なぜ存在していないものの否認をあえて宣言するのかと言えば、戦前の日本では、ドイツ国法学に沿った考え方で、国家の「基本権」として戦争を行うことができるという考え方が広まっていたからだ。

日本国憲法は、これを否定した。そして二度と現代国際法を無視しないことを誓った。それが9条2項の「交戦権」否認だ。したがって本来は、「現代国際法を遵守する」、とさえ言えば、9条2項を守るのに十分なのである。

ところが憲法学の「憲法優位説」によって、9条2項は国際法を遵守するのではなく、国際法上の自衛権などを否定する条項だ、などと説明されてしまう。

日本の憲法学を中心に、戦後になってもなお、自衛権を、国家の自然権だとかに勝手に言い換えてしまう運動が、根強く存在している。しかし本来「自衛権」は、国際法の概念であり、憲法には登場しない概念である。憲法学者が勝手に国際法を無視して定義すべきものではない。

「自衛権」という概念は、違法行為に対抗する公権力の行使の手段のことである。それ自体が国際秩序を維持するための公権力の行使である。私人の「正当防衛」概念に合わせて「自衛権」を理解する態度は倒錯的である。

まして国家に自然権があるなどという話も完全な倒錯である。国家が自己保存の「基本権」(ドイツ国法学におけるGrundrecht)として自然的な権利を持っている、などといった話は、ドイツ国法学の影響力が根深い特殊な業界でのみ、通用するものだ。

日本国憲法は、そうした業界の人々によって解釈されてきた。だが、実際の日本国憲法のテキストは、そのような人々が作ったものではない。

終戦時に東大法学部の国際法担当教授であった横田喜三郎は、すでに終戦直後の著作で「第二次世界大戦による変化」の一つとして、「違法な戦争を行う国家に対して、交戦権を否認したこと」をあげ、「戦争そのものの性質が根本的な変化を受けることになった」と述べていた(横田『世界国家の問題』[1948年]、108、115頁)。

憲法が「交戦権」を否認しているのではない。まず国際法が「交戦権」を否認した。日本国憲法は、それを遵守すると宣言しているだけだ。

こうした「戦争の革命」は、ほかでもない、アメリカ合衆国の努力によって達成されたものである。アメリカこそが、伝統的に「交戦権」を否認する立場をとっていたのである(篠田『ほんとうの憲法』参照)。

残念ながら、日本では、横田のような国際法からの冷静な指摘が、憲法学によって否定されてしまった。司法試験や公務員試験を通じて、憲法学のほうが正しいかのような見方が広まってしまった。

戦争に正しいものも間違ったものもない、正しい戦争があるなどと言っているのは全て邪悪なアメリカ人の陰謀にすぎない……といったことを、ナチスと結託してアメリカ主導の国際法秩序を批判してカール・シュミットの理論に依拠してでも、日本人は貫きとおしてしまっている。

結果として、日本では、いまだに20世紀国際法秩序が否定され続け、19世紀ヨーロッパ国際法の「無差別戦争観」が残存し続けてしまっている。

しかし、それは国際法の理解としても、憲法の理解としても、間違っている。

石破氏は、憲法学通説を受け入れるあまり、9条2項を削除するしかない、と思い詰めている。だが、それは生真面目すぎる。もう少し幅広く憲法解釈を見てもらいたい。