石破茂氏は「憲法学通説」を絶対視する必要などまったくない

改憲問題から見えた安倍首相との違い
篠田 英朗 プロフィール

石破氏は生真面目すぎる

憲法学は、司法試験と公務員試験を通じて日本の法曹界・官僚層に絶大な影響力を持つ。

石破氏のような人物が、憲法学の通説を意識したうえで、自衛隊違憲論の弊害を取り除くためには9条2項削除しかない、と感じたとしても、それは無理のないことかもしれない。

しかし憲法学者の9条解釈が絶対に正しいわけではない。むしろ問題が多い。

憲法学者の憲法解釈は、たいていの場合には最も専門的なものかもしれないが、国際安全保障と深く関係する9条の解釈に関して言えば、実は必ずしもそうではない。

そもそも憲法学者の多くが9条に対してイデオロギー的な思い入れを持っており、客観的な議論を提供していない。

さらに、戦前の憲法学の栄光に引きずられてドイツ国法学でアメリカ流の憲法を読むという倒錯が顕著だ。20世紀の国際法を無視する(19世紀ヨーロッパの国際法の存在を信じている)傾向も深刻である。

9条1項は「戦争放棄」条項として知られるが、1928年不戦条約や1945年国連憲章2条4項を意識したものであることは、条文の文章から明らかだ。

そこで「戦争」は放棄されているが、自衛権は放棄されない。なぜなら諸国が自衛権を放棄してしまうと、侵略者に対抗する有力な手段の一つが失われてしまい、侵略者による戦争を誘発してしまうからである。

つまり、自衛権放棄は、戦争を防ぐ可能性を減らしてしまうのだ。それが国際標準の考え方だ。日本国憲法は、これを前提にしている。

 

9条は、戦前の日本の行動を反省し、国際法に沿って行動することを誓っている条項だ。そのことは前文からしっかり読めばはっきりわかる。

ところが憲法学の基本書を読んでしまうと、「憲法優越説」なる立場にもとづいて、国際法にもとづいた憲法解釈を拒絶するように求められる。

国際法を遵守し、国際法秩序と調和した平和主義国家を目指すという本来の日本国憲法の精神が、なんと憲法学の基本書で、否定されてしまうのである。

9条2項は、こうした国際法を遵守しようとする日本国憲法の条文と、憲法学の通説が、鋭く対峙する劇的な瞬間である。

2項の「戦力」不保持で不保持が宣言されている「戦力」とは「war potential」のことで、つまり現代国際法で違法である「戦争(war)」(国家の至高性にもとづいて国家が宣戦布告をして他国を攻撃する行為)を行うための潜在力のことである。

1項の内容を補足しているのが2項の趣旨である。日本は平和国家になる、違法行為である「戦争」を遂行するための手段を持つこともしない、というのが2項の「戦力不保持」の意味である。

「陸海空軍」という例示は、あくまでも「戦力」として存在するものについて参照されているものだ。自衛権を行使するための手段を放棄するという含意はない。自衛権行使の手段としての軍隊組織を持ってはいけないと解釈する必要もない。