昨年から今年にかけメガバンクで相次いで人員削減のリストラが発表された。メガ3行で3万人を超える大規模なものだ。週刊誌上には「構造不況業種の銀行員大量失業時代到来」といった刺激的な言葉が並んだ。
実施期間が最長10年に及ぶ銀行もあり切迫感を疑わせる面もあるが、内外へのメッセージとしてかなりのインパクトがあったのは事実だ。特に1990年代のバブル崩壊と金融危機後の合従連衡を経たメガ3行体制の中で、曲がりなりにも「ゼロ金利下の奇妙な安定」を享受してきた銀行員にとっては、久々に自身の人生を考えるきっかけになったのではないだろうか。
AI時代の到来を引き合いに出すまでもなく銀行員の数は明らかに過剰だ。限りなくゼロに近い水準でイールドカーブ(利回り曲線)が寝たままの環境下で、コマーシャルバンク(商業銀行)が生き残るには徹底した経費削減しかない。今回のリストラは緊急避難的な一過性のものではなく、これからもずっと続く構造的なものと理解すべきだろう。
このような状況下で、実行に移すかどうかは別として、転職を含めこれからの自分のキャリアを意識しない銀行員はまずいない。「今更言われても」という当惑気味のミドル層から「上の体たらくを見れば当然だ」とむしろ勢いづく若年層まで反応は様々だろう。
今後のキャリアを考え上で避けては通れない「転職」、その損得について考えてみたい。
銀行員になる目的が「頭取」や「社長」になることであれば、自分の入行前後数年の中で必ず誰かはなる訳であり、また「役員」に絞れば、入行して30年経てば同期の何人かはその地位に就くことになる。
従って「銀行員は転職する方が得だ」と言い切ってしまうのは少し乱暴だし、あまりに夢がない。また、本当に有望な人材が転職してしまっては、将来の頭取・社長や役員の候補者がいなくなってしまう。
一方、「給料が高いのだから多少仕事がつまらなくても、何としてもしがみ付いた方が得だ」と言ってしまえば「お金だけで決められるのであれば苦労はしないよ」という反論があるだろう。
実際に明らかに高給な外資系金融機関に行くのが今でも一部の人たちであることを考えれば、給料だけで転職の損得を論じるのは違うのだろう。
だからと言って、各々の人生観や価値観を尊重して個別に話をしていたのでは何も分からない。
その中である程度の有意性を持つのは、年代に整理して転職の損得を考えることだろう。年功概念が未だに支配する日本の企業社会、特に銀行業界においてはヒントを与えてくれる。