いま沖縄で起きていること〜対立や無関心を超えるには

異様な日本社会が浮かび上がってくる

沖縄の住民に我慢を強いる日々

7年半を迎えた東北被災地を回ってきた。

月命日の前後、いまだ岩手・宮城各県で1000名以上、総計で2500名を超えている行方不明者の一斉捜索が行われるなど、震災の傷跡はまだまだ癒えない。

そして現地で聞かれた声は、行政の「かたくなさ」と「対話を拒む」態度だった。たとえば、震災遺構の可否について議論を一方的に打ち切り、話し合いの場すら持とうとしないとか、犠牲者を出した原因究明に背を向けるとか、だ。

こうした行政の姿勢は、こと沖縄問題においても共通する。

「辺野古が唯一の選択肢」といったきり、行政委員会や裁判所から協議を求められても、政府は一向にテーブルにつこうとせず、ひたすら既成事実を作ることに精を出すばかりだ。

問題の一番根本である「多すぎる基地」に関しては、解決の処方箋を示さず、住民に我慢を強いる日々が続く。

名護市・辺野古のキャンプ・シュワブのフェンス
10年前は、壊れかけた有刺鉄線だけだった

日本の憲法は、言わずもがな戦争放棄・国民主権・基本的人権の尊重が3本柱とされている。

これは、戦争はしない、大事なことは国民が決める、一人ひとりの存在を尊重する、という3つを日本の社会の一番大切なこととして決め、これを国が国民に対し約束事として定めているということだ。

にもかかわらず、この最低限の約束が沖縄ではないがしろになってきた。

 

たとえば、沖縄では米軍の戦闘機やヘリコプターが、昼夜を問わず家や学校のすぐ上を自由に飛び回っていて、いろんなものが落ちてきたり、テレビがまったく映らなかったり、騒音で眠れなかったりしている。

それでもいまの日本政府は、米国に気を使って、住民に我慢しなさいとしか言わないわけだ。これは、前に示した約束を、国が率先して破っていることにほかならない。

いま「破っている」と書いたが、もしかしたら、日米政府はそういった意識そのものがないのかもしれないと心配する。

少なくとも米軍は、いまだ占領下との思いが垣間見えるし、政府も無憲法下の沖縄がいまだ続いていると、勘違いしているのではないかと思わざるを得ない状況だからだ。

そう、沖縄が本土たる日本と決定的に異なるのは、太平洋戦争終結後から沖縄返還までの4半世紀、憲法がない時代を過ごしてきたことである。