「日本スゴイ」で失敗し、日中戦争で大復活した新潮社雑誌の興亡史

『新潮45』が歴史を繰り返さぬように
辻田 真佐憲 プロフィール

本土空襲で出版もままならなくなる

1941年12月、アジア太平洋戦争がはじまるころには、『日の出』はすっかり主要な国策雑誌の一角を占めていた。

1942年2月号の目次から拾うと、

◎米英両艦隊撃滅の真相(平出英夫)
◎我海軍の「決死訓練」(高橋三吉)
◎一億総進軍の時(徳富蘇峰)
◎近代戦車物語(長谷川正道)
◎空中魚雷の驚異(古橋才次郎)
◎大東亜の資源戦(永戸政治)
◎漁業で米英を凹ました話(十川正夫)

などといった具合である。

1937年12月号『日の出』目次(国立国会図書館所蔵)

戦争が悪化するに連れ、米英を「鬼畜」「畜生」「ドルポン(ドルとポンド)野郎共」「洋服を着た赤鬼、アングロサクソンども」と痛烈に罵り、精神力を叫びはじめるのも、他誌とほとんど変わらない。

事例として、以下の2点を引いておく。

まず、1944年4月号掲載の、佐藤通次「玉砕(敢闘)の精神」。驚くべき玉砕讃美、捕虜の否定である。

「皇軍勇士の玉砕の報に接して、吾々は悲憤の思ひに耐へぬのですが、また一面、心の底ではなんとも言へぬ清々しさを感じます」

「日本人にとつて、国家から切り離されて敵の手中に陥つた一個の自分などといふものは、既に日本人にあらず、更に人間でさへないものなのです。

さやうな命は実は生ける屍であつて、なんら生きるに値せぬものです」

 

つぎに、1944年9月号の巻頭言「不壊の精神力」。こちらは、精神主義の極地のような文章だ。

「今日の情勢に、いさゝかたりとも狼狽する者、一億国民の中に一人でもありとするならば、われらは罵つて云はう、それでも日本国民かと」

「重ねていふ、物量を活かすものは精神、物量を産むものも精神だ。単なる物量には限りがあるが、無限の精神によつて産み得る物量には限りは無い。精神のともなはぬ米国の物量は、早晩必ず尽きることがある。われらは今、無限の力をもつて有限の力と戦つてゐるのだ」

かくも精神主義を謳歌する『日の出』も、本土空襲により肝心の物量(印刷所や用紙)がなくなってはどうしようもなかった。敗戦の日を待たずに、ついに出版もままならなくなってしまうのである。

なお佐藤社長は、戦時中に得た病などもあって1946年に引退。翌年公職追放の指定を受け、1951年に解除されるも、間もなく亡くなった。73歳だった。