ドラマ『西郷どん』から考える、「西郷と龍馬」ふたりの違い

歴史に刻まれた「名前」も違う
堀井 憲一郎 プロフィール

歴史に刻まれた「名前」の違い

坂本「龍馬」と中岡「慎太郎」が殺されたのは慶応3年だったので、二人はこの名前で歴史に刻まれている。本人たちはどうおもっているのだろう。

同年に死んだ高杉「晋作」も同じである。

西郷どんが同じ慶応3年に死んでいたら、西郷「吉之助」という名前で教科書に載っていたはずである。

日本史の教科書をめくりながら、西郷は隆盛で、おれは慎太郎か、と中岡が自嘲気味に笑いそうな気がしてくる(西南戦争の部分を読んだら何と言うのかとても興味あるが)。

西郷どんの「吉之助」は通称であり、ふだんに呼ばれる名前である。公的な機関に公式文章として提出するときだけ「隆盛」と署名していたはずで、そういう機会が実際にあったかどうかはわからない。西郷どんは面と向かって「隆盛さん」と呼ばれたことは、おそらく生前にはなかったはずである。隆盛は「諱(いみな)」になるが、ふだん使うものではない。

坂本龍馬の諱は直柔であり、中岡慎太郎は道正である。高杉晋作は春風であった。

諱は本当の名前でもあるし、またむやみに人には教えない名前でもある。そのため詠みは、よくわかっていなかったりする。歴史研究ではローマ字で本人がどう書いたかによって、その詠みの正しさを検証したりする。直柔はいちおう「なおなり」と読むとされている。正しい詠みがわからないときは、本当の詠みをはずす意味もあって、音よみをする。

十五代将軍松田翔太の慶喜は、これは「ケイキ」と呼んでいいんである。伊藤博文もかつてよく「ハクブン」と呼んでいる大人がいた。そっちのほうが、軽い敬意を含んでいるからでもある。そのデンでいけば、坂本はチョクジュウでよろしい。

彼らが明治4年の戸籍作成を越えて生きていれば、だいたいその諱で名前を国家登録したはずで、それならば歴史上は(日本史の教科書には)、坂本直柔、中岡道正、高杉春風となっていたとおもわれる。

ただ江藤新平のように、通り名のほうを戸籍登録した人もいるので、通り名で通したかもしれないが、まあ、可能性は低いだろう。そのてんで、江藤新平は変わり者だったと考えたほうがいい。なかなか素敵な変わり者だったみたいだ。

生まれたころは同じでも、死んだ時期によって、教科書に載る名前に採用される部分が違うというのは、いろんなことを示唆しているとおもう。早く死んじゃうと、あまりきちんとかまってもらえない、という感じである。

龍馬の扱いはこんなに変わった

坂本龍馬と中岡慎太郎が殺された事件が「近江屋事件」と名付けられているのを今回知って、驚いた。「中岡慎太郎は近江屋事件によって殺された」とも書いてあって、意味がわからなかった。

「近江屋事件」という事件名を申し訳ないが2018年になるまで聞いたことがなかったので、中岡と坂本は近江屋二階で殺されたのは知っているが、それとは別に何か事件があったのか、とおもってしまったくらいだ。

新しい言葉を作った場合は、作った時期を明記したほうがいい。「坂本龍馬と中岡慎太郎は河原町蛸薬師下ル近江屋にて襲われ殺された。これを近江屋事件と呼ぶようにしたのは坂本、中岡の死後140年を越えて平成20年代に入ってからである」というような注記をつけておいてもらうといろいろとありがたい。のちの研究者のためでもある(もう少し古くから呼ばれているのかもしれないが、まったく興味ないので調べていない)。

また、この京都の近江屋の跡を近ごろになってから見て(うちの京都の親元の家から近いから)、石碑のほかに立て札に写真(というか肖像画)まで飾ってあって、これまた驚いた。

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