ドラマ『西郷どん』から考える、「西郷と龍馬」ふたりの違い

歴史に刻まれた「名前」も違う
堀井 憲一郎 プロフィール

なぜ龍馬暗殺には「陰謀論」がついて回る?

西郷の死に先立つこと10年、慶応3年に暗殺された坂本龍馬の死は、薩摩藩によるものではないか、というのは、昔からよく語られている陰謀説である。

あとから見れば、納得しやすい「黒幕説」ではある。

しかし、そこに拘泥していてもしかたない。あまりに歴史を後世から見過ぎである。薩摩藩の革命が成功したあとから見ればたしかに龍馬の慶応3年の行動は敵対行動に見えるが、当時はこの先どう転ぶかわからないときであり、倒幕陣営側の大物を同陣営藩側が殺すのはどう考えても得策ではない。そんな高度な政治的な離れ業をやっている場合ではなかっただろう、とおもう。そして、やっていない。

龍馬を殺したのは薩摩ではなく、幕府である。べつだん疑義のはさむ余地はない。慶応3年当時は新選組の所業だとおもわれており、後年になって新選組と同じ仕事をしていた京都見廻組の処断とわかった。明治3年に判明して以来、その実行者を疑うべき部分はない。

 

坂本龍馬は京都見廻組が殺した。

そろそろ、日本人みんなの基礎知識として覚えておいて欲しいとおもう。

1974年のATG(アートシアターギルド)製作の映画に『竜馬暗殺』という作品があった。私は、京都にいた十代のころ、何度も映画館で見た。竜馬役は原田芳雄、中岡慎太郎を石橋蓮司が演じ、若い松田優作も出ていたモノクロの映画である。

一乗寺にあった京一会館で何度も見た。平日の昼に行くと、とにかく空いていた。かなり場末のやっつけ感の漂う映画館で、でも、そういう映画館で見るにはぴったりの作品だった。言ってしまえば、勝手にやさぐれている、という感じである。

『竜馬暗殺』は歴史ものではなく、ほぼ青春映画として作られており、竜馬も英雄ではなく、そのへんの弱々しい兄ちゃん感をいっぱい出していた。そういう原田芳雄の竜馬は、とても好きだった。 

この映画では、薩摩藩による暗殺となっていた。眉毛のない中村半次郎がずっと竜馬を追っていて、迫力があった(記憶で書いてるので眉毛があったらごめん)。薩摩が龍馬を殺したというのは、いかにも1970年代らしい見立てだとおもう。学生運動を支援している人たちが好きそうな思想だからだ。若いうちはそれでいいが、大人になると、そういう言説にかまっている場合ではない。

今年の大河ドラマ『西郷どん』でも、薩摩が殺したと、おりょう(水川あさみ)が叫んでいた。このへんは西郷隆盛のドラマとしては、いい案配だろう。西郷たちは、龍馬の死には一瞬戸惑ったであろうが、彼らはおそろしく忙しく、死んだ人のことはかまっていられなくなる。

龍馬はだいたいこれから30年くらいは忘れられた人となる。龍馬を殺した人物がわかっても定着しなかったのは、死んだ人のことなどいちいちかまっていられない時代だったからだろう。

明治3年に、もと京都見廻組の隊士が、坂本龍馬を殺したのは我々であると告白する。それ以降、いや見廻組ではない、私たちが斬ったのである、と言い出した者もいなければ、そういう記録も見出されていない。

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冷静に判断するかぎり、犯人は見廻組である。

幕府側には、殺す理由がふつうにある。

坂本は国家転覆を企てた政治犯の巨魁であり、また、前年、伏見寺田屋において、彼を捕まえにきた捕吏(末端の警官)を二人殺害した殺人犯でもある。彼を捕まえるのは、幕府にとっては理由を説明するまでもなかった。前年の捕縛のおりに警官を殺して逃げた男であるから、今回は見つけしだい斬るようにという指示があっても当然であろう。

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