巨大潜水空母をもってパナマ運河を攻撃せよ!日本海軍極秘作戦の真実

米軍が驚愕した潜水艦上攻撃機「晴嵐」
神立 尚紀 プロフィール

「海賊船として暴れ回ってはどうだろう」

8月16日夜、海軍総隊司令長官・小澤治三郎中将より、〈即時戦闘行動停止スベシ〉との命令に続いて、直属の第六艦隊司令長官からも、第一潜水隊の各艦に、内地への帰投命令が出された。ウルシー攻撃への出撃予定時刻のわずか数時間前のことだった。

 

南部艦長は直ちに艦を北に向け、帰投針路をとった。士官の間では、今後の身の処し方について、

「攻撃機3機、魚雷20本、砲弾、機銃弾満載。3ヵ月分の糧食を積んでいるこの潜水艦で、海賊船として暴れ回ってはどうだろう」

伊四百一潜後甲板に装備された14センチ砲

とか、

「日本降伏のとき、おめおめと内地に帰れるものか。自沈すべきである」

などの意見も出されたが、第一次世界大戦の戦訓によれば、このような行動は降伏条件を不利にするとの理由から、命令通りに内地へ帰投することになった。しかし、万が一、途中で敵に発見されたら、そのときは捕虜になるのを拒み、自沈する決意だった。

8月19日、海軍総隊指揮下の全部隊は、22日午前零時をもって一切の戦闘行動を停止することとあわせて、詔書渙発以後に敵軍に投降した将兵は、俘虜となったことにはならない、武装の引き渡しも降伏とは見なさないから隠忍自重せよ、という趣旨の命令が届く。これで、万一敵艦に拿捕されても、形の上では捕虜になることはなくなった。

続いて、内地に向け北上中の8月26日には、各艦は降伏の印として檣頭(しょうとう/マストのトップ)に黒い球と黒の三角旗を掲げることと、武器弾薬のいっさいを投棄せよとの命令が入った。「晴嵐」は、一度も実戦に使われることなく、翼をたたんだまま、カタパルトで射出されて海に消えた。

8月29日、艦が金華山沖に達したとき、伊四百一潜は、米潜水艦「セガンド」に発見、拿捕〈だほ〉された。

「士官1名を派遣せよ」との指示に、「我ボートなし」とせめてもの抵抗を試みたが、先方からボートが送られてきたので仕方なく、航海長・坂東宗雄大尉が連絡将校として「セガンド」へ向かった。やがて、航海長は米士官を伴って帰艦し、伊四百一潜は「セガンド」の監視のもと、横須賀に回航することになった。「セガンド」からは5名の監視員が乗り込んできた。

「向こうも怖かったんだろうと思いますよ。ひと通り艦内を見て回って、あとはずっと艦橋にいましたからね」

と、淺村さんは回想する。

8月30日は終日、入港後の引き渡しに備えて、艦内の清掃、整理が行われた。米軍は、翌31日の朝8時をもって伊四百一潜の軍艦旗を降ろすことなどを指示してきた。軍艦旗を降ろすことは、もはや日本の艦でなくなることを意味している。

この期に及んでもなお、降伏を潔しとしない有泉司令は、早暁、拳銃で自らの頭を撃ち抜き、自決した。銃声に気づいた南部艦長が司令室に飛び込んだとき、司令は、草色の第三種軍装に威儀を正し、左手に軍刀、右手に拳銃を持った姿で事切れていた。

机上には遺書が置かれ、ハワイ九軍神(真珠湾攻撃のさい、特殊潜航艇に乗り、湾内に潜航した10名のうち、戦死した9名。有泉中佐は、軍令部参謀としてこの作戦を推進する立場だった)の写真が飾られていた。遺体は遺書にしたがって、監視員の目を盗んで軍艦旗に包み、ひそかに水葬に付された。

「遺書に、艦長以下乗員は郷里に帰り、祖国再建に邁進せよ、帝国海軍の受けた恥辱は、小官の血を以てこれを雪ぐ、と書かれていたのは憶えています。その時点で洋上にあった海軍の最高指揮官として、責任をとって自決されたんでしょう。

インド洋の通商破壊戦で、戦犯に問われるのを怖れたのではないかと憶測する人もいますが、私はそうじゃないと思う。自決されたときはまだ、戦犯がどうのという情報もなく、そんなことを考える状況じゃありませんでした。有泉司令は、いわゆる古いタイプの海軍軍人でしたから、日本がアメリカの軍門に下るということがどうしても承服できなかったんだと思います」

8月31日朝8時、房総半島の突端が見えてきたところで、伊四百一潜は静かに軍艦旗を降ろし、横須賀軍港に向かった。ちょうどこの日、連合軍の大艦隊が東京湾に入っている。相模湾から東京湾にかけ林立するおびただしい数の米軍艦艇のマストが、淺村さんの目に焼きついた。

横須賀に回航して米軍に接収された伊四百一潜と伊十四潜(右)

伊四百一潜とともに出撃した第一潜水隊の各艦のうち、伊十三潜は、大湊を出港、トラック島に向かう途中で消息を絶った。艦長・大橋勝夫中佐以下140名の乗組員は、全員がが8月1日をもって戦死したものと認定された。伊十四潜は、8月4日、無事にトラック島へ「彩雲」2機を陸揚げしたが、同地で終戦を迎え、帰投命令を受けて相模湾に帰港した。伊四百一潜と会合できなかった伊四百潜も、無事に内地に還ってきた。

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