南極に現れた「ダーウィンの池」

生命1.0への道 第13回
藤崎 慎吾 プロフィール

遺伝子を融通し合って生き延びる

コケ坊主は単に塔のような形をしているだけではなく、内部構造がある(図3)。基本的にはコケの絡み合った塊が骨格になっており、てっぺんには元気のいいコケがたくさんいて成長している。しかし側面はシアノバクテリアや緑藻で覆われており、コケの勢いは押され気味だ。クマムシやワムシ、線虫といった微小動物もいるのだが、ほとんどは表面に暮らしている。

そして内部はというと、光が届かなくなって死んだコケが腐っている。このためにできた空洞は、細菌がコケの遺体を分解して酸素を使い果たしているため、嫌気的な環境になっている。おそらく、ひどい臭いがするだろう。そこには酸素の苦手な嫌気性菌が、うじゃうじゃいる。動物は嫌気的環境に強い種類の繊毛虫が、かろうじて見られるくらいだ。

伊村さんによれば、この外層と内層の環境が一体となって「コケ坊主生態系」をつくっているらしい。

たとえば外層にいるシアノバクテリアが水中で摂取した窒素をアンモニアの形で固定し、それを同じく外層の好気性菌が亜硝酸や硝酸に変換する。コケはその亜硝酸や硝酸を吸収して成長し、死ぬと内層にいる嫌気性菌が分解して窒素に戻す。それをシアノバクテリアが摂取して……というように内と外でバランスをとりながら、うまいこと栄養塩などをまわしているのだ。クマムシなどの微小動物も、そうした循環の中で暮らしている。

  図3 コケ坊主を縦に割った模式的な断面図および、その外層と内層を7セクションに分け、それぞれのセクションから採取した遺伝子のうち、色分けされた各細菌に由来するリボソームRNA遺伝子の検出頻度を割合で示したグラフ(産業技術総合研究所研究員・中井亮佑さん提供の図を改変)
図3のグラフで、割合の多さは大雑把に存在量を反映している。つまりシアノバクテリアは外層だけ、嫌気性菌は内層だけに見られることがわかる。外層と内層どちらにおいても目立つのは、アルファプロテオバクテリアである。真核生物のリボソームRNA遺伝子に関しては示していないが、クマムシや緑藻などは外層に見られ、繊毛虫や菌類は外層にも内層にも見られる

つまりコケ坊主というのは、それ1つだけで小さな「森」なのだとも言える。このように小規模ながらも精緻な生態系が、一気にできたとは考えづらい。

伊村さんによれば、最初は「情報の共有」が大事になるようだ。それは人間集団のサバイバルでも同じだろう。シアノバクテリアを含む細菌では、分裂によって母細胞から娘細胞に遺伝子を伝えるだけでなく、たとえ異種であっても周辺にいる細胞どうしの間で遺伝子をやりとりしている。これを「遺伝子の水平伝播」と呼ぶ。南極のような極限環境では、この水平伝播が他の地域に比べて頻繁に起きているらしい。

「窒素同化をはじめ、重要な役割を担うさまざまな酵素の遺伝子を、細菌どうしの間でうまいこと配分しているようです。南極にいる細菌の種類は、他の地域に比べると少ない。だから少ない中で、持っている遺伝子を分け合って、利用できるやつが使って、システムを組むのではないでしょうか。最初にいろいろな生物が集まって生態系が成立するときには、それぞれが持っている遺伝子の特性を、とにかく交互にやりとりしながら最大限に活かす。それがスタートではないかと思います」

「ランボー」や「ボーン」よりは「スタンド・バイ・ミー」

極限環境でのサバイバルというと、シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーの役柄みたいな、もともと簡単には死にそうにないマッチョな連中が、とにかく力づくで生き残るようなイメージがある。あるいはマット・デイモンのジェイソン・ボーンみたいに特殊訓練を受けて、一人で何でもかんでもできてしまうようなやつのストーリーを思い浮かべる。

だが実際は僕のように体力も知力もなく、これといった取り柄もない連中が、仕方なく僻地に追いやられて、生き残りを迫られるのが現実ではないだろうか。

その場合は、それぞれが持つ、他人よりは多少ましな能力や技術、知識などを最大限に活かしあって、お互いに何とかうまくやっていける態勢をつくるしかない。強いて映画にたとえるなら『スタンド・バイ・ミー』の世界だろうか。

これが生命の誕生時であれば、もうまちがいなく誰もが半端者だろう。最初に完全な独立栄養生物――つまりボーンみたいに1匹で何でもできてしまうやつが現れたとする考えもあるにはあるが、素人の感覚からするとイメージしがたい。むしろ、あちこちに欠陥や不具合があって、ちょっと環境が不安定になったら死んでしまうような連中が、必死に身を寄せ合っている状況ではなかっただろうか。

さらに言えば、そういった状況は生命誕生前の「化学進化」にさえ当てはまるかもしれない。つまり、核酸やタンパク質といった高分子や、それらができる前段階のヌクレオチドやペプチドといった分子が、まだ不完全な機能しか持っていなかった時代――さまざまな環境条件の下で、お互いの特性を最大限に活かしながら、少しずつ「生命」というシステムを構築していった可能性はある(第10回参照)。

そこに鉱物表面での原始代謝や、何らかの膜をつくる物質などを、メンバーとして加えてもよい。第6回で触れたように「生命を環境も含めたシステムとして捉える」とすれば、無機物と有機物のコラボレーションがあってもよかったはずである。

チャールズ・ダーウィンは生命誕生の場として、陸上の池を想定していた。それは温泉地帯や干潟にあったかもしれないが、いずれにしてもそこでは、今の南極にある池の中と似たような出来事が起きていたのかもしれない。人間は今、自らの手で生命が誕生したときの状況を再現しようとしている。しかし地球もまた、自分が過去に通ってきた道を、どこかで何度もたどり直しているのではないだろうか。