『生物と無生物のあいだ』と終わらない認識の旅

「生きている」はどう定義できるか?
福岡 伸一 プロフィール

過酷な環境の変化のなかで

いったいどういう意味なのか。

三十数億年まえ、原始の海に最初の単細胞生物が現れた。そこからいくつもの大きな枝分かれが起きた。枝はそれぞれ独自の方向へ伸び、太い流れをつくった。新しい種が生まれ、特別な進化を遂げ、大いなる繁栄を謳歌した。

しかし地球環境の変転は過酷を極めた。急激な気候変化。地殻変動。繰り返される氷河期。小惑星衝突。繁茂していた大木の枝は次々と折れ、消滅していった。

 

その結果、現在、私たちが生物の教科書で習っている進化の系統樹は、三十数億年のあいだに生い茂った生命の大木のうち、かろうじて残ったほんの一部、奇蹟のひと枝とそこについたわずかな葉っぱに過ぎない。大木の幹の大部分、四方八方に伸びたはずの枝ぶりのほとんどは失われ、消えてしまった。

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ところがである。生命はしぶとかった。枯れ落ち、消滅する運命にあった枝の上にあった生命体のうち──そのほとんどはなす術もなく絶滅していったわけだが──、ごく一部だけは、生き残る道を見つけた。

枯れ落ちる前に、かろうじて他の枝に飛び移ることによって。飛び移ったあと、宿主細胞の中に潜り込み、そこで長い潜伏生活を送り始めた。その過程で、自分自身の遺伝子はどんどん削ぎ落とされていった。

こうしてウイルスは作られていった。パンドラウイルスは、そんな中で、自分の持ち物を捨てきれずにいまだ抱えている生きた化石なのだ。

パンドラを解析することによって、今は失われてしまった幻の大陸を再発見することができるかもしれない。そこには生命の起源に迫る宝物が隠されている。かくして私たちの認識の旅は、終わることがない。

出典:『講談社現代新書 1964〜』