『生物と無生物のあいだ』と終わらない認識の旅

「生きている」はどう定義できるか?
福岡 伸一 プロフィール

シュレディンガーによる考察、そして、若くしてこの世を去った、unsung hero(賞賛されることのなかった英雄)ルドルフ・シェーンハイマーの動的な代謝論を再評価することに力を注いだ。

生物とは作ることよりも、壊すことの方に一生懸命になっている。あえて自らを壊すことによって、増大するエントロピーを外へ捨て続けることで、時間の流れに対抗しようとしている。

まるでシシュポスの石運びのような、無限の、報われることの決してない営み。それが生命現象の本質ではないか。

 

ここから、生命とは、物質・エネルギー・情報の流れの中にあり、たえず変容し、更新されながらバランスを保っているもの──、つまり動的平衡であると定義できる。

この視点に立てば、新陳代謝も物質交換もない、動的平衡の状態にないウイルスは無生物である、と見なされることになる。

動的平衡の生命観は、機械論的な生命観と対立するように見えて、実は補完的な関係にある。21世紀になって人間は、DNA暗号をすべて解明し、そこに書かれていた遺伝子を読み取った。

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その結果、何がわかったか。何もわかっていないことがわかった。

より正確に言うならば、登場人物の名前と姿かたちはわかったが、どんなドラマが繰り広げられているのか、そのダイナミズムとバランスは、まだわからないことだらけである、ということがわかった。

パンドラと名付けられたウイルス

今後、生物学はますます動的平衡のしくみと意味を記述する方向へ展開していくことになるだろう。

一方、定義や分類はつねに書き換えられ、再考されるためにある作業仮説のようなものだ、ともいえる発見が次々となされている。

定義によって、生物にも無生物にもなりうる中間的な存在、ウイルスは一体どこからやってきたのか、という謎について近年、非常に面白いことがわかってきた。

フランスの研究者ジャン=ミシェル・クラブリは、チリの河口とオーストラリアの沼から、アメーバの中に寄生している不思議な物体を発見した。直径約1マイクロメートル。普通の顕微鏡でも十分みえる。

ということは普通の細菌並みの大きさ。ところが細菌ではなかった。自ら新陳代謝したり、増殖することができない。姿もどれも均一で、ちょうど徳利のような形をしている。アメーバに取りつくことによって初めて自己複製することが可能となる。これはとりもなおさずウイルスの特徴である。

ところが驚くべきことに、このウイルスは2500個にも上る遺伝子を有していた。普通のウイルスは数個から多くても数十個。

それだけではない。遺伝子の90%以上は、現在、私たちが知っているいかなる生物の遺伝子とも異なっていたのである。クラブリは、このウイルスにパンドラと名づけた。禁断の箱を開けてしまったというのである。