中国の孤島に32年間駐留し続けたエキセントリックな民兵、死す

その破天荒な生きざまとは…
安田 峰俊 プロフィール

悪人とバトル(笑)

1999年3月、島を改造して売春島に変えようと考える、孫という姓の悪人の一団が上陸してきた(余談ながら、広東省の下川島をはじめ一昔前まで中国にそうした島は珍しくなかった)。王さんは悪人たちの行動をすぐに通報する。

するとブチ切れた孫は王さんと息子を殺してやると凄んだが、王さんは「島を守るのが俺の仕事だ」とそれを突っぱねた。そこで孫は、彼らの計画に目をつむっていてくれたら儲けの半分をあげると誘ったが、王さんはそれも断る。

孫たちは激昂し、王さんを港に連れて行ってどつき回し、彼が長年付けていた駐留日記を灰にするという暴挙に出たが、それでも王さんは志を曲げなかった。ついには孫たちが逮捕され、島は平和を取り戻したという。

ほかにも王さんは、ある年の冬に60台近くの自動車の密輸を摘発したり、蛇頭(密航ブローカー)が島を中継地点にして49人の密航者を送り出したりしようとするのも阻止した。過去、密貿易を9回、密航を6回ブロックしてきたらしい。

 

骨折しても国旗を離しませんでした

王さん夫婦の朝は国旗掲揚からはじまる。島の直射日光や風雨が厳しすぎるため、国旗はすぐにダメになってしまうのだが、王さんは自費で200回以上(300回以上という報道も)にわたりこれを買い替え、常にまっさらな状態の五星紅旗が島の頂上部にひるがえるように努めてきた。

台風に襲われたある日、王さんはあわてて国旗を回収。帰路に暴風に吹き付けられて石階段を17段も落下し、肋骨を2本骨折して自身も海上に放り出されかけたが、それでも国旗を手から放さなかった。

台風一過の翌日、近所の漁師が陸地の病院へ連れて行ったくれたが、「国旗はわしの生命よりも大事だ」と意気軒昂としていたという。

死んでから軍神になってしまった

王さんの努力がようやく国家に認められるようになった2015年には、人民解放軍の軍医が島まで診察に来てくれた。彼は重い椎間板ヘルニアだと診断されたが、「わしが島を離れるわけにはいかん」と頑固に主張したので、手術は見送られた(なお、同じ理由で娘の結婚式にも欠席している)。

その後、王さんは無理がたたったのか、今年7月26日に島で『中国国防報』の取材を受けた翌日に倒れ、陸に運ばれたがその夜に死去。59歳の完全燃焼の人生であった。

いくら中国とはいえ、希望すれば他の場所で働くことも可能だったのに島に残り続けたのは、ほぼ本人の望みだったと見ていい(1980年代のノリで暮らしている島から、現在の市場経済化した中国社会に戻って生活するのは想像するだけで大変そうだ)。

いっぽう、中国政府は、ゼロ年代なかばまで発電機すら送ってこないほど王さんを冷遇していたにもかかわらず、島での生活が4半世紀を越えたあたりから彼を「英雄」として持ち上げはじめ、彼の死後は習近平が談話に取り上げるなど、さながら「軍神」みたいな扱いをするようになった。

※死後、さっそく党と軍によるプロパガンダが絶賛展開中。『中国軍網』より。

2010年以降の尖閣問題の緊張化や、これとほぼ並行した南シナ海への積極的な進出政策が実施されるなかで、自分の人生を島の防衛に捧げた民兵というキャラクターは、中国当局として非常に好都合だったに違いない。

すっかり政治的なプロパガンダに利用されてしまっているわけなのだが、王さん自身が非常に愛国的な人物だったのも間違いないため、本人としてもたぶん本望なのであろう。

死の前日まで奥さんと二人三脚でサバイバル生活を続け、ある日ぽっくり亡くなるというのは、少なくとも当事者としては満足度が高い一生かもしれない。個人的にはちょっと羨ましい人生のような気も……。しないではない。