中国の孤島に32年間駐留し続けたエキセントリックな民兵、死す

その破天荒な生きざまとは…
安田 峰俊 プロフィール

サバイバル夫婦の孤島生活

2008年に江蘇省軍区から小型の風力発電機を送られてやっと電気が通ったが、半年も経たずに壊れてしまった。2012年にはソーラー発電設備が設置されたが、天候が悪い日は使いものにならない。

2011年時点での報道では、王さん夫婦の年収はわずか3700元(約6万円)ほど。1995年に島に灯台が建ってからはそのメンテンナンス担当費用として2000元がプラスされたというが、ほとんどスズメの涙みたいな収入だ(元記事を確認したが、この金額は月収ではなく「年収」である模様だ)。

※孤島に国旗を掲揚する王さん夫婦。毎日の習慣だった。『共産党員網』より。

夫婦は海に分け入り、採れた魚を漁船に売ったり自分たちで食べたりして生活を支え、さらに島内に自家菜園を作って豆や瓜や芋を栽培して暮らしていた。漁船が離着する島の桟橋が古くなったときには、業者に頼めば4万元かかるといわれたので自前で修理したりと、実にサバイバルな日々だったらしい。

中国のメディアは数々の王さん伝説を報じているが、個々の話の真偽は不明で、なかには相互に矛盾したエピソードもある。だが、とにかくいろいろスゴいことは伝わる。以下、夫妻の伝説をご紹介しよう。

 

大嵐の孤島で分娩

赴任翌年の1987年7月、妻の仕花さんはめでたく妊娠。ところが、最初は陸地での出産を計画していたものの予定日よりも早く妻の陣痛が来てしまい、さらに数日の大嵐が続いて船が出せなくなってしまった。

嵐のなかで陣痛に苦しむ妻を陸に送り届けるわけにもいかない。王さんは戸惑ったものの、対岸にある村の民兵の家族に産婦人科の医師がいたことを思い立ち、無線機で彼に連絡。この医師から分娩の方法を聞き、自分で分娩をおこなうことにした。

ひとまず子が生まれたのを確認して、家のハサミを火であぶって(熱湯で消毒したと報じる記事もある)へその緒を断ち切り、無事に我が子を取り上げることに成功したそうだ。

※嵐に負けない王さん夫婦。がんばりすぎである。『中国共産党網』より。

さいわい母子ともに健康で、生後5日目に妻は赤ん坊を連れて陸地へと帰っていった。後に妻の母親は「うちの娘が死にかけたじゃないか」と激怒したが、妻は「私が自分で望んで島に着いていったんですから」と取りなした。

なお、生まれた男の子には国家への愛を志せということなのか、志国ちゃんと名付けたそうである。