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死者掘り起し、棺桶破壊――激烈反発を招いた「中国葬儀革命」の顛末

地方高官の死と失脚をなぜ隠蔽する

飛び交う「因果応報」の罵倒

9月3日、江西省人民代表大会(日本の県議会に相当)常務委員会副主任の鄭為文が高速道路上の事故で死亡した。

その日の午前中、鄭為文を乗せた乗用車は、江西省南昌市の西環状高速道路を走っていたが、大型トラックと衝突して大破した後に炎上した。目撃者によれば、鄭為文は燃え上がる車内から逃げ出そうとあがいたが、果たせずに焼死したという。

この交通事故は、江西省内の一部ネットメディアによってすぐさま報じられたが、このニュースは程なくしてネット上から削除された。

また、一部の香港ネットメディアは「江西省人民代表大会常務委員会副主任の鄭為文が自動車事故で死亡」と報じ、さらに、鄭為文は安徽省で1958年に生まれ、安徽省内の市長を歴任した後、2013年8月に江西省へ転じ、江西省長補佐兼公安庁長、副省長兼公安庁長を経て、2018年1月に江西省人民代表大会常務委員会副主任に任じられたと略歴を報じたが、同記事もまもなく削除された。

一方、鄭為文が交通事故で無残な死に方をしたことは、中国特有の“小道消息(口コミ)”を通じてたちまち世間に知れ渡った。

人々は2018年7月に江西省で強行された“殯葬改革(葬儀改革)”に関連付けて、“現世報応(因果応報)”だとネットの掲示板に書き込んで溜飲を下げたのだった。

当該事故のニュースがネット上から削除されたのは、葬儀改革に対する世論の反発を恐れた可能性が高いとされる。

それでは、葬儀改革とは何を意味するのか。

 

中国には主体の漢族の他に55の少数民族がいるが、死者の葬り方は民族ごとに伝統的な方式があり、土葬、火葬、水葬、鳥葬など多様である。

人口の92%を占める漢族は伝統的に土葬であり、歴史的に火葬が禁じられていた時期があったこともあって、火葬に対する拒否反応は極めて強い。

1949年に中華人民共和国が成立すると、政権を握った中国共産党は土地や棺材を浪費する土葬を廃止して火葬に切り替えると同時に、多大な時間と費用を必要とする葬儀の簡素化を図る葬儀改革を提起した。しかし、急激な改革は国民の強い反発を受けたことから、葬儀改革は時間をかけて徐々に進めることになった。

中国政府国務院は、1985年に『葬儀管理に関する暫定規定』、1997年に『葬儀管理条例』を公布して、火葬の推進を図って来たが、全国の火葬率は、2003年に過去最高の53%を記録した後は減少に転じた。国家成立から68年が経過した2017年末時点でも48.6%にとどまり、葬儀の簡素化も進んでいないのが実情である。

火葬率が上昇しない理由は、土葬なら必要とされない火葬費用が余分にかかることと、火葬の強制に対して人々が反発して激しい抵抗を示すためである。