画/おおさわゆう

科学の最先端を走る医者たちでも逃れられない「古臭いしきたり」とは

覆面ドクターのないしょ話 第32回
新入社員の頃、作家への原稿依頼の手紙の書き方がわからず、『手紙の書き方』という本を買ってきて四苦八苦した記憶がある。社会人になると、ビジネスでの文書には守らなくてならない「しきたり」があり、それを知らないと恥をかくことになる。
次郎先生によれば、医学界でも医者同士の文書のやりとりには独特の「しきたり」があり、これを守らないとえらいことになるらしい……。

意外な効果を発揮した決まり文句!

「いつもお世話になっております! 佐々木次郎です」

社会人にとって便利な言葉である。人に会ったらとりあえず「いつもお世話になっております」と言っておけばよい。この言葉の効果は意外とバカにできない。

 

かつて私が、大学病院で医局長を務めていたときのこと。

教授が、地方の関連病院にも毎月の手術症例数を報告させろと言い出した。当時、うちの医局の関連病院は、教授の権威が及びにくい一種の解放区のような存在で、全員伸び伸びと自由を謳歌していた。それだけにこの命令には関連病院の反発が大きかった。

「雑務を増やすな!」「教授が何様だ!」

立場上、文書の送り主は私だった。医局長の私は30代、関連病院の部長はどなたも50代以上だった。誰でも30代の若造に命令なんかされたくないだろう。だが、各部長たちは少しずつ好意的に対応してくれるようになった。

伝え聞いたところでは、ある部長がこうおっしゃっていたという。

「佐々木の心遣いが嬉しい」

さて、何のことやら? 伺ってみると、どうやら私の一筆書きが功を奏したらしい。私は無味乾燥な依頼書の隅に直筆で、

「いつもお世話になっております」

と書いた付箋を貼っておいた。ただこれだけなのだが、各関連病院の部長たちは私のことを

「少しは気配りができるヤツ」

と感じ取ってくださったようなのだ。

この「いつもお世話になっております」は病院内では極めて頻繁に使うフレーズである。

「わが職場 垣根はないが 溝がある」(九官鳥、2005年度サラリーマン川柳より)

大学病院の本院や○○医療センターなどの大病院は巨大企業みたいなものだ。大学病院はお山の大将から成る集団だから、他科の人間への気遣いが苦手な医者が多い。このため、お互いの意思疎通が乏しくなりがちだ。各科間の連携いわゆる「横のつながり」がいまひとつなのだ。

たとえば、糖尿病で通院中の患者さんが心臓の異常を訴えたとする。かかりつけの医者から大病院の循環器科を勧められ受診した。診察中に患者さんが、

「実は、足の指の傷があるんです。ジクジクして治りにくいので、ついでに診てほしい」

と、担当医にお願いした。にもかかわらず、

「それ、循環器科で扱う病気じゃないから」

と言われ、足の診察は受けられないまま帰された。

こういうケースは意外に多いのだ。糖尿病、心臓病、そして足の病変とは因果関係が濃厚だ。本来ならば、

「わかりました。足は他の科の先生に診てもらいましょうね」

といって循環器科の医者が、血管外科や整形外科などに依頼書を書き、患者さんをその科に回して、診察を受けられるようにするのが筋である。これを「他科依頼」あるいは「兼科依頼」などという。
 
このように、他科依頼をせずに患者さんを帰したりすると、私のような医療関係者は、

「この病院は横の連携がイマイチなのかも」

と感じるのである。余談だが、横の連携を深めるには、レクリエーションも有効である(本連載第7回参照)。