デビュー作『五体不満足』(写真右・カバー写真撮影/管洋志)刊行から20年たった今、乙武氏は42歳になった 写真左撮影/森清

不倫問題で集中砲火を浴びた私が「今」ホスト小説を書いた理由

私もレッテルを貼られている

乙武洋匡氏が書いた『五体不満足』が刊行されたのは1998年。累計600万部を超えるベストセラーとなり、乙武氏は一躍有名人の仲間入りを果たした。

それから20年。教員免許を取り、小学校教諭として教壇に立ったり、政界入りを打診されたり……「乙武氏と言えばクリーン」というイメージが先行したが、2011年に発覚した複数の女性との不倫スキャンダルでそのイメージは一変。バッシングの嵐を浴びたことは記憶に新しい。

その乙武氏が『車輪の上』というホストクラブを舞台とした小説を執筆した。なぜ「今」ホストを主人公とした小説を書こうと思ったのか――。

 

「すごいね」と言われる理由

足がないのに、子どもの頃から下駄を履かされ続けてきた。

歩けるなんてすごいね

字が書けるなんてすごいね

自分一人で食べられるなんてすごいね

周囲と同じことをしているはずなのに、なぜか私は褒められた。子どもながらに、その「なぜか」を必死に考えた。答えは、わりとすぐに出た。

あなたは障害者だから何もできない――。 

多くの人の胸の内には、そんな前提が横たわっている。だから、手も足もない小さな子が目の前で車椅子から降りて歩き出したり、肩と頬の間にペンを挟んで字を書き始めたりすると、人々は目を見開いて驚き、そして惜しみない賞賛の言葉を注いでくれた。

そのカラクリに気づいてしまうと、私は人々がかけてくれる賞賛の言葉を素直に受け取れなくなってしまった。もっと正確にいえば、言葉の根底にある「障害者だから何もできない」という前提に反発を覚えるようになっていった

そこでまた考えた。私は健常者と同じことしかできていない。だから自分だけが褒められることにモヤモヤするのだ。ならば、健常者よりも秀でたことができるようになればいい。きっとその褒め言葉を素直に受け取れるようになるはずだ。そうして私は努力するようになった。

「清く正しい乙武クン」なんかじゃない

1998年に『五体不満足』が出版されて多くの人に知られる存在になってからも、基本的にその構造は変わらなかったように思う。自分自身がたいした人間でないことは痛いほどよくわかっていた。だから、聖人君子のようなメッキを剥がされる前に、自分から剥いでしまおうとずいぶん露悪的に振る舞った時期もあった。だが、「また謙遜ばかりして」「チョイ悪な面もまた魅力」などと期待と違う効果を生み出すことが多く、そうした振る舞いに頼ることもやめてしまった。

このカバー写真の笑顔が「乙武君」のイメージとなった人は多いのではないだろうか。

そもそも、なぜ私は聖人君子のように扱われてきたのだろう。『五体不満足』で描いたのは「非の打ちどころのない優等生」エピソードなどではなかったつもりだ。車椅子に乗って得意げになっていた小学校時代。不良少年とつるんで先生に睨まれていた中学校時代。アメリカンフットボール部の活動にのめり込んで赤点ばかり取っていた高校時代。どこを切り取っても優等生然としたところはない。

それでも世間から抱かれるイメージは「清く正しい乙武クン」。そんな虚像が長期間にわたって一人歩きを続けてきたのには、やはり私の境遇が大きく影響しているのだろう。「障害者なのにこれだけ頑張っているから」というバイアスが、幼少期に引き続いて、とてつもなく高い下駄を履かせ続けてくれたのだ。