撮影/菊池修

樹木希林さんが晩年語っていた「死について思うこと」

自分の人生、上出来だと思っています
「私はね、女優としてではなく、一人の人間として、ひっそりと逝きたいのよ。だからもし私が表舞台から姿を消しても、決して追いかけないでね」

全身がんに蝕まれながらも、生涯女優を貫いたまま逝った、樹木希林。病と闘いながらも、気高く、そして美しく生きようとする彼女の姿に多くの人が魅了された。生前、週刊現代のインタビューで語っていた、自分の人生と家族の話。その言葉の数々を振り返る。
 

人としてどう生きるか、それが大事なの

あら、『週刊現代』って袋とじが人気なの? でも私が編集長なら老婆のヌード特集をやるわ。トップバッターは岸惠子、トリは黒柳徹子、あとは適当に見繕って。私? 私はいいわよ。袋とじがとじたままになっちゃうもの(笑)

当代きっての個性派女優は、無邪気で、忌憚がない。それゆえに奔放で、人に何と思われようと構わない。そこに凛とした強さを感じる。

私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。

私は女優の仕事にも、別に執着があるわけじゃないの。それよりもまず、人としてどう生きるかが大事。だから普通に生きてますよ。掃除もするし洗濯もする。普段から特別、役作りというのもしません。現場で扮装をしたら勝手にその役の気持ちに入り込んでしまう。私の場合、女優業ってそれくらいのことなの

撮影/菊池修

そもそも樹木が女優になったのは「成り行き上」だという。

私は周りが心配するほど無口な少女だったの。なのに不思議ねぇ、たまたま目に飛び込んできた新聞の小さな記事を見て『文学座』の試験を受けたら合格しちゃったわけ

それが'61年、18歳の頃。樹木は「たまたま」と言うが、1000人もの応募者の中から選ばれたのは10人だった。

他は美人だらけだったから、一人くらいそうじゃないのも入れとこうかと思ったんじゃないかしら? ただ、私は耳がいいと言われましたね。人のセリフをよく聴いているって。演技のセリフって、相手の出方によって、自分がどういう言い方をするか変わってくるはずなんですよ。でも、相手のセリフを聴いていない人って結構いるんです

主役を張るタイプではなかった樹木だが、共演者と軽妙な掛け合いができる演技力が評価され、20歳の時に森繁久彌主演の『七人の孫』('64年)でお手伝いさん役に抜擢される。以降、『時間ですよ』('70年)『寺内貫太郎一家』('74年)などで「怪演」を披露し、広く知られるようになっていった。

『寺内貫太郎一家』に出た時は31歳だったの。あれは自分から老婆をやりたいと言ったのだけど、それからというものずっと老婆役ばっかり回ってきて。私より年上の女優さんはズラッといるのに、みんな『私はまだ……』とか言って断っちゃうせいなんですよ。『迷惑しました』って書いておいてくれない?

30代早々から演じ続けた老婆役。しかし、キャリアを重ね、やがて樹木自身の年齢が役に追いつく頃になると、かつてはコミカルだったはずの老婆は、ごく自然体の、観る人の胸を打つ姿に変貌した。'13年には『わが母の記』で2回目となる日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している。

樹木が「全身がん」であることを告白したのは、その授賞式でのことだった。