photo by iStock

終わりなき「自分磨き」は、現代の奴隷労働にほかならない

現代日本のアナキストかく語りき 前編
つねに何か役に立つことをしなきゃいけない、おもしろいことを言わなきゃいけない、成長し続けなければいけないーー会社でも、学校でも、SNSでも、そんな焦燥感、切迫感を抱いている人は多いのではないだろうか。その独特の感覚の底にあるものはなんなのか。『何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』を上梓した、「アナキスト」栗原康氏に聞いた。(構成:伊藤達也)

つねに「有用性」を求められる社会

誰かのためにならないといけない。社会にとって役に立つ人間でないといけない。会社にとって有用でなければいけない。現代社会では、誰もが絶えずそう求められています。

働いて「社会に貢献したい」と、誰かの役に立つために毎日「自分磨き」をしたり、資格を身に着けたり、休みの日にも、SNSでもみんなに受けのいいツイートをして、「いいね!」を貰おうとしたり、「インスタ映え」を狙ってみたりと。

とにかく、「役に立たなければ」「評価される人間であらねば」という思いに縛られている。まるで奴隷のように。

写真:岡田康且

でも、それって本当にそれほど大切なことなのか?疑問に思いませんか? 人間なら「何もしないでたらふく食べたい」と思うのが普通ですよね。

何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』で紹介したドイツの哲学者、マックス・シュティルナー(1806‐1856年)は、100年以上も前にその疑問に答えています。かれは、いまいった問題について、「人道的自由主義」という言葉で批判をしています。

ちょっと堅苦しい言葉ですが、まさに現代のことを表していると思うんです。

 

シュティルナーによれば、私たちが「自由」を獲得してきた歴史は、支配から自由になる、でもその自由を保障するために、あたらしい制度をつくって、その制度に支配されること。それは以下のような段階をたどってきました。

(1)政治的自由主義 カネによる支配

君主政から自由になり、ブルジョア‐労働者のカネの関係へ(自由主義)

(2)社会的自由主義 社会による支配

ブルジョア(資本家)が労働者の自由を奪うことを止めさせようとした。労働者は社会に義務を負い奉仕する(共産主義に近い)

(3)人道的自由主義 人間的なものによる支配

非人道的な労働から自由になり、人間らしい個性を活かした労働をする。自分のやりたいことを労働とする(自己実現のための労働)

この人道的自由主義は、現在のことをまさに言っている――私ははじめてシュティルナーを読んだ時に、そう思ったんです。

人は奴隷みたいな隷属関係や、カネに縛られる状況から解放されて自由を得ようとしたけれど、労働からは逃れられない。それなら、ご主人様やカネのためではなく、自分のやりたい、「やりがい」のある仕事をしようと、「人間らしい働き方」という自由にいきついた。それが人道的自由主義だというんですね。

シュティルナーの時代では文筆家や芸術家のような仕事でしたが、いまでいうと「クリエイティブ」な仕事、「〇〇プロデューサー」や「××クリエイター」といったカタカナがつくような仕事が、人道的な仕事としてイメージしやすい。