『PRODUCE 48』は“JK-POP”の生みの親になるかもしれない

日本のアイドルに足りなかったこと
松谷 創一郎 プロフィール

『ラストアイドル』と比較すると…

そんな『PRODUCE 48』のことを考えるとき、どうしても比較してしまうのは、やはり現在も放送されている日本のアイドルサバイバル番組『ラストアイドル』(テレビ朝日)だ。30分番組なので『PRODUCE 48』と比べるのは酷でもあるが、その番組内容にはあまりにも差がある。

この連載でも過去に指摘したとおり、この番組のバトルでのジャッジは4人の審査員からひとりがランダムに選ばれておこなわれる。たとえ暫定メンバーが3対1で優勢であっても、挑戦者を有利とするひとりの判断に委ねられれば結果は逆転する。運の要素がきわめて強いのだ。あくまでも視聴者の投票に委ねる『PRODUCE 48』と比べると、公正性を担保しようとする姿勢はまったくない。

むしろ、意図的に不条理な状況に参加者を置いて見世物にしているようだ。審査員として幾度も出演している評論家の宇野常寛は、そうした状況について番組内で「ひどい番組」「残酷ショー」と述べたが、まったくもってそのとおりだ。

現在放送されているシーズン3では、8月に千葉で行われたトレーニング合宿の模様が放送された。その内容はとても問題があるものだった。

歌やダンス、基礎体力のレッスンを中心としていたが、初日の午前中にいきなり17歳のメンバーがダウンした。番組では体調不良と説明されたが、横になって扇風機を間近であてられているのを見るかぎり、おそらく熱中症だ。

映像からわかるが、合宿がおこなわれていた体育館の窓はすべて開けられ、複数台の扇風機が設置されていた。おそらく冷房設備はない。そのなかで、中学生や高校生を中心とする暫定メンバーたちが汗をダラダラかきながら練習をしていた。デタラメにもほどがある。

当然のことながら、冷房設備のないところでトレーニングをする必要はない。むしろ、今年のような酷暑では運動を避けなければならない。『PRODUCE 48』の練習施設は、すべて冷房完備の屋内だ(今年は韓国も酷暑だったが、練習生たちが暑そうにしている様子は見られなかった)。

 

『ラストアイドル』の制作スタッフが、そうした杜撰なことをしてしまった原因はいくつか考えられる。

ひとつは予算だ。深夜の30分番組で多くのコストは割けないなか、冷房設備のない千葉の体育館しか借りることができなかったのだろう。

もうひとつは、制作スタッフが古い「部活」や「青春」イメージを無自覚に採用している可能性だ。

番組では明け方に浜辺をランニングする光景が挿入されたが、基礎体力をつけるためなら冷房のある室内のランニングマシンで、それぞれのペースで個別に走ったほうが効果的だ。もはや、あの映像を撮るためだけに走らせていたかのように思えるほどだ。

最後に指摘しなければならないのは、前二者とも関係するより根源的なことだ。それは「アイドル」を「未熟な存在」と規定し、軽んじている可能性だ。簡潔に言えば「たかがアイドル」と見なしている。

ちゃんとした環境でないのも、「完成したパフォーマー」になることを期待していないからだろう。秋元康は「K-POPがプロ野球だとしたら、AKBは高校野球」と述べたが、高温注意報の出ている夏の甲子園でおこなわれる高校野球と同じようなデタラメさだ。

それは端的に言って、音楽を含むポップカルチャーの軽視でもある。政治や社会問題に厳しいニュース番組の司会者も、文化を扱うと急に単なるファンの顔を見せる。政治・社会と文化は、概して切り離されて捉えられがちだ。その結果、アイドル文化も夏の甲子園も無茶苦茶な状態が生じている。

『PRODUCE 48』の厳しいトレーニングと視聴者投票という公正性の強いジャッジは、市民運動によって勝ち取った民主主義を常に向上させようとする韓国社会の民意の反映でもある。

だが、『ラストアイドル』も含めた日本のポップカルチャーでは、民主主義社会の基本原理を軽視した状況が当たり前のように繰り広げられている。

関係者は「たかがアイドル」「たかが芸能」と軽んじて自己利益ばかりを追い求め、ニュース報道や評論家も「たかがアイドル」「たかが芸能」と軽視して取り上げない。それが日本の現状だ。

そうした日本のポップカルチャーに対し、『PRODUCE 48』は強いカウンターとなって機能する。