学力は「遺伝の影響が50%」…それでも私たちに勉強が必要な理由

生物学が教える「君たちは何を学ぶか」
安藤 寿康 プロフィール

「進化」が教えてくれた教育のほんとうの意味

それが50歳を越したころでしょうか、進化に出会いました。周りにすでに「進化教」(これはわざとおどけてそういっています。確固とした科学であることは疑うべくもありません)のマントラが聞こえている中で、ずっと疑いをもってきたその教えに、あるとき突然天啓のように、そこにこそ求める答えがあるという直感を得ました。

似たようなコペルニクス的転回の経験を多くの研究者がそれぞれに経験していることは『進化心理学を学びたいあなたへ』(東京大学出版会)にも生き生きと描かれており、興味深いです。

そもそも教育とは何かという問い対して、「進化」というアイデアを当てはめることができる。教育を学校教育に閉じ込めるのではなく、動物ともその有無や性質を比較できる広い視野の中に位置づけて考えることができる。これはすばらしく魅力的な知的挑戦に思えました。

ヒトもヒト以外の動物も、食べなければ生きていけない。あたりまえのことです。人間以外の動物は、餌になる植物や動物を得るための、それぞれの種に独特な方法を生まれつき身につけています。クモは巣を張り、ライオンは狩りをします。それはすべて自分の体を張って、自分ひとりでそのやり方を身につけます。

仮に他個体と共同で狩りをしたとしても、そこに教えるものはいません。自分で身につけるしかありません。

ヒトはそれを「知識」によって成し遂げます。食べるために必要なこと、動物や植物を取るための知識、それを捕る道具を加工する知識、取れたものを互いに分け与える知識、その知識を記録し伝えるための知識、その他無数の知識が使われることで、われわれは生き延びることができる。

しかも自分ひとりだけ知識を習得するのではなく、社会で共同して使う文化的知識を、それをすでに持っている他者から学習して生き延びます。

その共有する知識習得のために生物学的に発明されたのが、まさに「教育」−−他個体の学習を促す利他的な行動ーーであるというアイデアは、気がついてみればあたりまえにも関わらず、これまでほとんど誰も気づいていなかった発見でした。

photo by iStock

これを私は、教育学上の発見だけでなく、生物学上の発見であるとすら、大げさでなく考えています。

これまでヒトを特徴づけるものとして、直立二足歩行や道具使用、言語能力などがあげられていました。

直立二足歩行は学習の臓器として進化的に獲得した脳を支えるために適しており、それによって前肢(手)が自由に使えることが石器に始まる道具使用を可能にし、その道具が生み出した産物や道具のための道具の発明の蓄積が文化を生みました。

目に見える文化の背後には、その文化を生み出し、それを使う目に見えない「知識」があります。その膨大な知識をすべての人が同じように学ぶことは不可能です。

そこで遺伝的な差異が生きてくる。

異なる遺伝的素質が異なる文化的知識を分担して学習し、他者のために用い、もしうまく行かなくなったら新たな文化的知識を創造して、それをほかの人に言葉を交えて教えて、みんなで使えるようにする。

その繰り返しがヒトの歴史ではないか。

このようにヒトのヒトらしい特徴を支えているもの、それによってはじめてヒトの生存を可能にさせているものが「教育」だという発想です。