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学力は「遺伝の影響が50%」…それでも私たちに勉強が必要な理由

生物学が教える「君たちは何を学ぶか」

「個人差の50%は遺伝で決められている」という現実

このたび執筆した『なぜヒトは学ぶのか−−教育を生物学的に考える』では、生物学的な視点から新しい教育学を描くという、これまでにない新しい試みにチャレンジしました。

これまで、人間の能力や性格の個人差に及ぼす遺伝の影響が無視できないという行動遺伝学の知見を紹介し、教育や格差の問題について発言してきました。

能力の向上や人間形成のために、学ぶこと、教育を受け続けることは必要不可欠です。しかし、能力がどのような形でどの程度の高さまで伸びるのか、性格や価値観がどのように形成されるかには、遺伝子による影響が無視できないほど効いていることを、行動遺伝学は膨大な双生児データなどから明らかにしてきました。

私のこれまでの著作(『日本人の9割が知らない遺伝の真実』など)では、このような知見を紹介しながら、ヒトの個人差の生物学的現実を直視し、科学的に妥当な認識を持った上で、その事実が生み出す社会問題を問おうとしてきました。

そこまでは行動遺伝学者の仕事でした。

しかし、私は教育哲学のゼミに所属していた学部時代から一貫して教育学を学び、いま自分の勤める大学でも教育学専攻に所属し、教育心理学を講じつつ、行動遺伝学と心理学に依拠して「教育とは何か」を哲学的に問い続ける教育学者であると、自分のことをみなしてきました。

そこで、今度は教育学者の視点から「教育」や「学習」の意味をさらに考えてみようと試みました。

その背景には、勉強に悩んだ高校生や大学生の頃の私自身に向けて、「なぜ私は学ばなければならないのか」という問いに対するヒントを伝えたいという思いがあります。

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自分にとっての教育の原体験はやはり大学受験です。決してよい思い出ではありません。第一志望は落ちる、仮面浪人してはまた落ちる。勉強しても成績は伸びない。そもそもなんのための勉強なのかもわからない。

でも世の中にはすごいパフォーマンスを発揮して人々を感動させている芸術家やスポーツ選手がいます。私のあこがれはピアニストのマウリツィオ・ポリーニとモントリオールオリンピックの妖精ナディア・コマネチでした。彼らから高いものを目差して達成することのキリキリする魅力を感じ、それを受験勉強に求めようとあがき、苦しんでいました。

また学校の勉強には必ずしも夢中にはなれなかったものの、やはり多感な悩める高校生、授業や参考書を通じて出会った小説や評論、さらには映画やドラマやマンガなどから、さまざまな感化を受けました。

大学院で行動遺伝学に出会い、あらゆる人間の個人差の背後に遺伝的な差異が入り込んでいることを知りました。

自分がある分野ではたいした努力もせずに人並み以上になれるのに、別の分野では人並み以上の努力をしつづけても成果がえられず興味すらわきおこらないことの理由が、おそらくは私自身の遺伝的・生物学的条件に、50%は決められていたことを知らされました。

しかし、そのことを肯定的に受け止められるようになるには、時間がかかりました。ましてや世の中ではとても受け入れられないタブーでした。

ドブジャンスキーという有名な集団遺伝学者が「人間の不幸の多くは、人々が遺伝的に適合しない仕事についているためだと思う」と言っているのをどこかで読み合点しましたが、それならどうすればいいのか、遺伝的素質なんて生きてみないと分からないことで、遺伝子検査で明らかになるようなものではありません。

途方にくれていました。