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相次いだ「告白」

先週、ネットで「イケガMetoo」という言葉が話題になったのをご存じだろうか。あのジャーナリストの池上彰氏(68)に関することだ。

事の発端は、元通産官僚で徳島文理大学教授の八幡和郎氏が、池上氏の番組スタッフからある問題について取材を受けたが、それを八幡氏のコメントとしてではなく「池上さんの意見として紹介したい」と言われたと、フェイスブック(https://www.facebook.com/kazuo.yawata/posts/2130828563658019?__tn__=-R)で明かしたことだ。

これに対して、いろいろな人から「私も似たようなことがあった」という意見が相次いだ。筆者もその一人で、「オレも似た経験あるぞ」(https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1038986751153328128)とツイートした。

その後、こうした「告白」が相次いだことで「#イケガMetoo」というハッシュタグも出たのだ。これで、筆者以外にも、同様な経験があると表明している人がいるのがわかった。

 

筆者の場合は、かなり昔の話であるが、池上さんがやっていたあるラジオ番組でゲストして呼ばれた後、取材として話を聞かせてくれということだった。それで、筆者はまたゲスト出演をお願いされたのだと思い取材協力したが、「テレビでその取材内容を使いたい」ということだったのだ。こちらはゲスト出演と思い取材に協力したのに、残念に思ったことを覚えている。

学者の場合、意見は論文や本で表明する。学位をとるような著作では、自分のオリジナルな意見と他人の意見の引用は厳格に区別されている。

一方、ジャーナリストと称する人は、取材で得たことをベースにしたうえで自分の意見を述べるが、自分の意見と取材によって得た意見の差がどこにあるのか、かなり曖昧だ。しばしば取材源の秘匿を主張するが、それは取材を受けた者がそう主張した場合のみに許されることであり、一般的には取材先を明らかにできなければ、客観的な検証ができないことになってしまう。

マスコミ記事のなかには、そうした検証がしにくいものが多い。俗に言う「ソース」が明らかでないのだ。学者の論文なら、検証可能でないものは到底意味をなさないため、ここは大きく違っている。

池上氏の場合、テレビのジャーナリストによくあることだが、ソースの明示がハッキリしていない場合が多い。

筆者は、かつて本コラムで池上氏の番組を批判したことがある(2016.12.19「フジテレビ「池上彰特番」が犯した、残念すぎるレベルの3つのミス」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50502)。おそらく筆者とは立場の違う人に取材をして番組を作ったのだろう。この番組でも、ソースは明示されていなかった。

池上氏については、9月7日に放送されたフジテレビ「池上彰スペシャル」についても批判されている。この番組で、子役タレントが20人以上出演していたからだ。八幡氏のケースも、子役タレント出演のケースでも、筆者からみると、ソースの明示(クレジット)をきちんとしていないことが問題ではないか、と思っている。

学者なら、取材協力者としてクレジット表記をしてくれればOK、という人もいるだろう。「クレジットなしでも、そこそこの報酬がもらえるのであればいい」というジャーナリストもいるだろう。まず、その協力者を番組に出演させればまったく問題なし、だ。

たとえ「出演なし」でも、クレジット表記か、協力に見合う報酬があれば多分問題なし、のはずだ。「出演なし、クレジットなし、報酬なし」ではやっぱり酷いと言わざるを得ないだろう。

池上氏は他人の意見を自分の意見のように言うことはない、としているが、これだけ似たような体験をした人がいるとなると、全面否定が通じるだろうか、という疑問も出てくる。モリカケ問題のとき、マスコミは「疑われた場合、挙証責任は疑われた側にある」というとんでもない論法を仕掛けていたが、これに即するなら、池上氏がどのような対応をとるのか興味深いところだ。

 
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